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目次(通常分)
和田家の義務教育が終了、拓真が高校進学陽花、吹奏楽で金賞&九州大会出場!やってみたらできた!フローリング施工倫典が県立宮崎西高校へ進学陽花、カナダでホームステイ体験!アロマハンドリラックス認定試験に合格!微妙な出来?Google版年賀状大塚中サッカー部、中体連県大会で優勝!呼子!嬉野!今年は佐賀へ拓真がリフティングで再びテレビ出演!ついに念願のiPhoneに乗換え陽花が県立大宮高校へ進学中田!カズ!再び追っかけの巻iPhoneゲット祈願!年賀状裏話垣根がピンチ!除菌作戦開始夫も脱帽!矢作との写真撮影に成功庭にプライベート練習ネットが完成!災害対策としての防風壁、ついに完成!キャンプ巡り、続報!キャンプ巡りでJリーガーのサインゲット!どこまで続くか!?和田家のルーキーズブーム新車ステップワゴンを購入!倫典が全日本大会で健闘!陽花の中学校生活がスタート!壁を塗り替え、マイホームをリニューアル拓真くんがまさかのサッカー転身!恒例の年賀状裏話野生のイルカを満喫!天草の旅世界にひとつだけのメロン陽花、バレーボールで悲願の県大会出場!貯金箱、金額予想の結末は!?メダカの大量繁殖に成功!拓真くんが自転車レースで優勝!ズレータの前で演奏!ポスター調年賀状裏話拓真くんがテレビで快演!?宮崎夏の陣、たまごっち争奪作戦!和田家に待望のセカンドカー登場!初代カブト虫に孫が誕生!?陽花ちゃんと倫典くん、書写展でそろって入賞えびの高原にて冬満喫!先が見えない、和田家の年賀状サンタは今年もやってきた拓真くん、初練習で自転車をマスター!謎の生物が謎の変死カブト虫がサナギに変身、一部成虫へミッフィーのバーベキューセット、懸賞でゲット!カブト虫が謎の生物と共に順調に成長倫典くん、ピッカピッカの一年生!「弟たちと九九」が作文コンクールで優秀賞!倫典くん、幼稚園を皆勤賞で卒園!年賀状の干支、理解されず軽部&高島アナとの写真ゲット!カブト虫&クワガタをゲット!宮崎市役所ミュージッククラブが定期演奏会を開催大淀幼稚園でなつまつり&バザーを開催拓真くんもとうとう幼稚園生に和田家のエントランス、日曜土木にて完成陽花ちゃんが書写展にて金賞倫典くん、発表会でリベンジビートルズの「アビーロード」ジャケット、和田家は既に対応済和田家の年賀状裏話倫典くん、絵画コンテストで入賞和田家、東京ディズニーランドに行くふたりそろって七五三詣りBOMフォトコンテストで入選主人が無事ドイツから帰国来月、主人がドイツへ渡航ベッカムともくん登場!陽花、涙の卒園式年賀状の理解度、3割未満かサイコロのお腹を持つ少年陽花と倫典、運動会で健闘!主人、新聞に登場!グッチ裕三のサインをゲット二重の虹、出現!スイカすくすく成長今世紀最初の大発見!人面コーン倫典くん、幼稚園へ陽花、発表会にて好演拓真、1才になる年末ジャンボ、大当たり!和田一家、公式日程をすべて終了し無事帰国平成13年予算案固まる和田一家、来月にも渡豪か4才の女の子、技に溺れる


平成27年4月
和田家の義務教育が終了、拓真が高校進学
 拓真が大塚中学校を卒業し、和田家の義務教育が終了した。
 拓真の中学時代はやはりサッカー抜きには語れない。兄の代のサッカー部は中体連県大会優勝という輝かしい成績を残したが、拓真の代はタレント選手もおらず、結果を残すことができるチームになるとは到底思えなかった。しかし、うまい選手がたくさんいるチームに食らいつく雑草軍団に何度も心を動かされた。勝てない時期を乗り越え、チームワークを武器に、最後の夏の中体連では県3位。父兄や指導者は強豪相手に死力を尽くす姿に心からの拍手を送った。爽やかないいチームだった。
 拓真は今春、県立宮崎西高等学校に進学する。兄と同じサッカー部に入る予定で、兄の高校サッカーがあと少しとなって寂しい思いをしている父親も、あと2年、サッカー観戦を楽しむことができることを喜んでいる。

平成25年8月
陽花、吹奏楽で金賞&九州大会出場!
 陽花が続けてきた吹奏楽、6年目での快挙。当コーナーでの掲載は時機を逸したので、当時のフェイスブック投稿を紹介することでその時の感動をお伝えする。
(県コンクールでの父親の投稿)
 娘の所属する大宮高校の吹奏楽部がコンクールで金賞を受賞した。しかも、県で2校の九州大会推薦校に選ばれるという快挙。宮崎学園と都城商業が長く選ばれてきた牙城を崩しての推薦。本当におめでとう。息子のサッカーばかり協力してきた間に、娘はしっかり成長してたんだなぁ。中学からずっと銀賞ばっかりの娘に最後の最後に神様はいいプレゼントをくれました。高校最後の夏、精一杯のパフォーマンスを期待しています。最高の演奏に、娘のソロまで聴けて、無理して夏休みもらって本当に良かった。元首相じゃないけど、「感動した!」。帰ってビール飲もうっと。
(県コンクールでの母親の投稿)
 今日は娘の吹奏楽の県コンクールでした。大宮高校ヤバイっ!金賞受賞!しかも、県代表に選ばれ、九州大会へ!中学の頃から6年間頑張って来た吹奏楽。娘は今まで、毎回金賞をとるつもりで精一杯頑張ってきたけど、結果はいつも銀賞でした。最後ぐらいは金賞を獲る喜びを味わせてあげたいと思っていたところ、見事金賞!本当によかった!これも、本人達の頑張りはもちろんだけど、指導者の三原先生のおかげ。三原先生、実は私の小、中、高校の先輩で、小、中学では一緒に吹奏楽してました。先輩、本当にありがとうございます〜。九州大会でも良い結果が出せるよう、頑張ってくださいね!・・・でも娘は高校3年生。まだまだ勉強は始められそうになく・・・。こちらは本気でヤバイっ!
(九州大会での母親の投稿)
 娘の吹奏楽コンクール九州大会を聴きに、日帰りで福岡に行ってきました。結果は銀賞だったけど、県大会の時よりも更に上手くなっている娘達を見て感動。活動最後に最高の思い出が出来て、本当に良かった!
九州大会写真

平成25年7月30日
やってみたらできた!フローリング施工
 やると決めたら少々の抵抗に屈することなく突き進めば、意外に何とかなるものだ。和田宅の1階には唯一の和室がある。和室といっても本物の畳ではなく、マットのような床材の上に、ゴザのようなものが被さっている簡易畳。最初はいいと思ったが、汚れが落ちにくく、ほつれが生じ、縁に相当するプラスチックが割れてきた。住宅メーカーの見積もりでは同じ物に替えると10万円程度と言われた。何とかせねばと思い、正方形を組み合わせるタイプのフロアマットやウッドカーペットを見に行った。フロアマットはその下に何か敷かなければ高さが合わず、ウッドカーペットも既成サイズでは広さに合わないなどそれぞれに一長一短あったが、何よりもそれなりの値段がした。ふとホームセンターの建材コーナーを見るとフローリング材のお値打ち品が目についた。9,000円程度で材料が揃うことが驚きで、意外と自分でもやれそうな気がしてきた。部屋の大きさに合わせた木材のカットを頼もうとした店員は「床下の木材の位置などを確認しながら、ノウハウのある者が施工しないと、板がズレて危険で、軋みも出る。悪いことは言わないからやめた方がいい。」と言われ、カットどころではなくなった。しかし、部屋は完全な正方形ではないので敷きながらカットしなければならないという点と、継ぎ目をずらさなければならないという2点を店員とのやり取りから学び、知り合いの大工に頼むとか何とかごまかしながら購入した。家具が置いてあることもあり、楽な作業ではなかった。何度も測り直したり、切り直したりと試行錯誤ではあったが、出来は写真のとおり悪くない。釘を使わなかったため、わずかに軋みはあるが、少なくともウッドカーペットよりはフィット感があると思う。「やってみたら意外にできた」というのが今回の正直な感想である。今後不都合が生じたら、速やかにご報告させていただくこととする。

平成25年4月21日
倫典が県立宮崎西高校へ進学
 和田家の長男倫典が今春、県立宮崎西高等学校へ進学した。宮崎西高校は自宅から最も近い高校で、中学校より近くなり自転車で10分程度で通うことができる。姉は30分弱をかけて少し離れた大宮高校に通っており、校区が撤廃された現在では兄弟で違う高校というのは普通のことだが、日向の小さい町で育った両親からすると若干の違和感を覚える。姉の入学式ではまだ咲いていた校門横の桜の前で記念写真を撮ったが、今年は桜も散ってしまっていた。どこか学校の適当な場所でと思ったが、倫典も先に帰ってしまったため家の庭で撮影した。今でも背は低いほうだが、小中学校の入学時と比べると当たり前だがお兄ちゃんになったものだ。サッカー部に入部し、早速練習が始まっているが、クラスに中学時代の塾友達やサッカー部に入部した仲間も多く、部活と勉強の両立に向けて楽しいスタートが切ることができたようだ。新年度に入り、陽花はいよいよ大学受験、拓真は自分たちの代でのサッカーが夏以降に本格的に始まる。和田家の2013年度がこうしてスタートした。

平成25年2月17日
陽花、カナダでホームステイ体験!
 昨年12月に陽花が修学旅行でカナダを訪れた。5泊7日の行程中、現地宿泊はすべてホームステイ。陽花は仲良しの友達と二人で、中国系の夫とカナダ人の妻、13才の女の子という家庭でお世話になった。カナダ人の奥さんはかつて20年ほど日本に住んでいたとのことで日本語が話せるという有り難い環境であったが、会話はすべて英語でと配慮してくれたようだ。クリスマスが近い欧米はホームステイの学生を受け入れる時期には適していないとみえ、受け入れ先の確保に旅行会社は苦労したと思われる。ターバンを巻いたインドの富豪で各ゲストルームにお風呂がある家庭のほか随分とバラエティに富んでいたようで、ネイティブなカナダの家庭を体験できた生徒は少なかったようだ。陽花たちは大きなお屋敷で快適に過ごすことができたようで、バンクーバーの街を散策したり、地元のレストランに連れて行ってもらったり、何故か家に備えてあるカラオケなどで楽しんだようである。陽花たちのホストファミリーは滞在中に韓国の小学生も受け入れており、同時期に2組のホームステイを受け入れるカナダの人々はやはりスケールが大きい。海外ということで多少心配もしたが、現地からメールやハガキも届き、すごく楽しかったという話を聞くと、国内ではなく海外を選択させて良かったと思う。ホテルへの宿泊ではなく、身振り手振りを交えてカナダ人と触れ合った経験でひと回り大きくなっていることを期待する。
ホストファミリーとの記念写真(撮影 by 韓国の小学生)

平成24年12月1日
アロマハンドリラックス認定試験に合格!
 この度、妻康子がアロマハンドリラックス認定試験に見事合格した。「アロマハンドリラックス」とは日本アロマコーディネーター協会(JAA)が認定しているアロマトリートメント技術のひとつで、施術される側はもちろん、する側もともに癒されリラックスできることを特徴としたオイルによるマッサージである。マッサージといっても凝りをほぐすといった種類のものではなく、筋肉や血流を刺激し、身体を内部からリラックスさせるといったもの。認定には10数回の講座受講後の筆記試験や小論文、実技試験のほかに、身近なモデルでの実技練習が必要となる。ということで、陽花、倫典、そして夫が実験台として駆り出されることとなったわけである。初めは慣れないオイルマッサージに身体をくねらせ、笑いとも悲鳴ともつかない奇声を発する光景がしばしば見られた夫や陽花も、回を重ねる毎にされるがまま身をまかせることができるようになり、そのまま寝てしまうことも多くなった。二人が慣れてきたと言うよりも、妻のマッサージ技術が向上したためと分析すべきであろう。特に開業を目指しているわけでもなく、何かの期限に迫られているわけでもない妻が、仕事と家事の傍らこの「アロマハンドリラックス」に打ち込んだのは、身近な人の疲れを癒してあげたいという何とも旺盛なサービス精神によるものらしい。妻のお知り合いの方で心身の疲れの癒しを求めている方がおられれば、ぜひ試してみられてはいかがだろうか。

平成24年2月5日
微妙な出来?Google版年賀状
 大手検索エンジン「Google」「ホリデーロゴ(Doodle)」をご存知だろうか?「Google」を開くとたまにいつものロゴではなく、その日にちなんだ特別なロゴが期間限定で表示されることがある。そのセンスの良さから、このホリデーロゴのファンであったが、ふと年賀状の素材にどうかと思い立った。家族の中では変わった年賀状に否定的な声が年々強くなってきており、普通の年賀状を別に作るという乱暴な案までが現実味を帯びてきている。Google版年賀状構想を恐る恐る持ち掛けた時の家族の反応を一言で表現するならば、それは「諦め」であった。ともあれ、制作に入ってみたものの、本家のようなセンスあふれるロゴがそう簡単にできるはずもなく、一時はデザイン変更も考えた。妥協という表現は避けたいが、イラストタッチでの作成を断念し、無難な写真加工に切り替えた。Google版決定の決め手となった「g」のタツノオトシゴ化に時間をかけた以外は特に難しい処理はしていない。別々に撮った写真の色合いを合わせながらバランスよく配置することだけが命だったと言える。Googleでの検索経験がなかったり、Googleロゴを知らない人には伝わらないのは端から承知のこと。ホリデーロゴを見たことがない人には意図が伝わらないと私も思う。Googleと年賀状の関連は何か。そう難しく考えないでほしい。私自身、年賀状づくりがどこに向かっているのかわからないのだから。
年賀状拡大

平成23年11月20日
大塚中サッカー部、中体連県大会で優勝!

 平成23年11月5〜7日の日程で開催された中体連宮崎県大会において、倫典が所属する大塚中学校のサッカー部が見事「優勝」という快挙を達成した。中体連は春と秋に開催され、秋の大会は3年生が抜けて最初の大きな大会であり新人戦とも言えるもので、昨年は準優勝だった。倫典と同じ2年生は17人、1年生が24人と総勢41名から成るサッカー部は公立中学校では大所帯である。ただ、3年生も多かったため、2年生はこれまで試合経験が少なく、決して弱くはないが県大会で優勝するまでの実力はないことは選手、先生、父兄の皆が承知していた。そのような中、一月前に開催された地区大会では初戦の宮大附属中戦に4-0と快勝したものの、次の大宮中戦では3-2の逆転辛勝と苦戦した。次はベスト4を懸けて日章学園中との戦い。県内では私立の日章学園中と宮崎日大中が双璧で、公立中学校は打倒日章、日大を掲げてがんばっている。実力差はあったものの粘り強い守りの中、何とか1-1の同点に追いついたが惜しくもPK負け。地区大会はベスト8に終わった。迎えた県大会、初戦の高城中戦は10人の相手に2-0で辛勝、続くベスト4を懸けた宮崎日大中戦に不安を残した。しかし、先輩たちの粘り強さと集中力を引き継いだ選手たちはこの大一番で日頃の厳しい練習の成果を遺憾なく発揮した。多少、歩は敵にあったかもしれないが、相手に思うようなサッカーをさせず、0-0のPK勝ち。応援団は歓喜に湧いた。準決勝の門川中戦は前半早めの得点が効いて2-0で勝利。決勝の富島中戦は準決勝で負傷したキャプテンを欠き、前半0-0と互角の勝負だった。後半、負傷した右肘が曲がらないままキャプテンが出場、見事ゴールを決めて1-0で勝利、優勝の栄冠に輝いた。倫典は地区大会、県大会を通じて何度か途中出場の機会を得て、精一杯のプレーをした。今後チーム、倫典ともにレベルアップして、3月に沖縄で開催される九州大会では強い気持ちのこもったプレーで更なる感動を期待している。最後に思う。この優勝は素直で礼儀正しく、いつも正々堂々とサッカーに向き合ってきた結果である。人生いつもそうとは限らない。しかしそうでなかったらこのような結果にならなかったことも事実。この教訓を胸に何事にも謙虚に一生懸命取り組んでほしい。
平成23年11月8日宮崎日日新聞記事

平成23年8月18日
呼子!嬉野!今年は佐賀へ
 今年は佐賀。計画を立てた1週間前でも予約できるよう宿泊はマイナーな「佐賀大和温泉」に決め、初日は鳥栖のアウトレットに寄るだけで早めに宿に入ることにした。マッサージやプール、温泉でそれぞれリラックス、夜は佐賀牛や新鮮な魚に舌鼓を打った。卓球やカラオケなどを分刻みのスケジュールでこなした後は遅くまでトランプと和田家定番のカードゲーム「SKIP-BO」に興じ、久しぶりの家族の時間を満喫した。翌日、呼子に移動。船で景勝地「七ツ釜」に接近、引き続き海中遊覧船では水中の魚に歓声を上げた後は、もちろん「イカ」。ただ、子供というものはあまりイカ好きではない。加えて連日の鮮魚メニューに一行は若干胃もたれ気味だった。名物のイカを万全の体調で食すことができなかったことが心残りであった。午後には旅の最終目的地「嬉野温泉」へ移動。当日は花火大会が予定されており、それまでのひとときを温泉で疲れを癒した。会場は街の中心から1kmほど離れた小高い公園。徒歩で人の流れに乗り、出店で食料を買い込みながら着いた会場は所狭しと見物客で埋め尽くされていた。宮崎と違ってテンポよく上がる花火に気を良くした和田家は目玉である二尺玉に度肝を抜かされた。打ち上げられる音から違うその大物はこれまで聞いたことのない爆音とともに夜空のすべてを覆い尽くすかのよう。司会者の音頭でカウントダウンをするのも納得の一発であった。最後に打ち上げられた2発目の二尺玉を目に焼き付けた後は事前に停めてあった高速乗り口近くの車を目指し、ただただ人の流れに乗って歩いた。高速で熊本を走行中にクーラーが故障するというアクシデントもあったが、翌日に多少の疲れを残しつつもこれまでと一味違った思い出深い旅行であった。

平成23年7月6日
拓真がリフティングで再びテレビ出演!
 幼稚園生時代の拓真がテレビで大あくびを披露したのは和田家ではもはや伝説となりつつあるが、この度、サッカーのリフティングの模様がニュースのひとこまで放送された。サッカー少年にとって最も大きな大会といえる全日本少年サッカー大会の開会式が5月15日、市内の木の花ドームで盛大に開催された。開会式では県大会の抽選のほか、リフティング大会やリレーなどのイベントも行われた。待ち時間にテレビのカメラマンに話しかけ仲良くなった拓真の所属する江南Jr.FCの選手たちは「僕たちを撮ってね」と交渉、6年生のリフティング大会では江南チームに長くカメラが回される結果となった。永遠に続くかと思わせるくらいに上手なサッカー少年も多いので拓真は途中で脱落したが、カメラが回っている間は何とか無難にこなした。約1ヶ月後の先月11日、江南Jr.FCは大雨で増水の危険が迫る延岡市内の河川敷で初戦を迎えた。圧倒的に攻めていたが、降りしきる雨と水たまりに苦戦する中、終了間際にカウンターから失点し1回戦で涙を呑んだ。本格的な暑い夏が既に始まっている。この夏の厳しい練習を乗り越え、次の秋の県大会では勝利を掴んでほしいと願っている。

平成23年5月29日
ついに念願のiPhoneに乗換え
 私はこの度、念願のiPhoneに乗り換えた。初めて携帯電話を手にして以来、auを使い続けてきたが、3機種目が古くなってきたため買い替えを検討してきた。Macユーザーの私は当然ながらiPhoneが以前から気になってはいたが、ナンバーポータビリティなど手続きへのおっくうさから踏み切れずにいた。今はどうかわからないが、従来からauはMacを眼中に置いておらず、対応ソフトはすべてwindows版であるという点は私にとっておもしろいことではなかった。さらに、普段から携帯電話を音楽プレーヤーとして活用しているが、au機種の音質には特に不満はないものの、音楽取り込みや再生などの操作性の悪さには閉口していた。「私はスマートフォンが欲しかったのではない。電話機能付きのiPodが欲しかったのだ。」と話しているとおり、最終的には音楽ライフの充実が今回の目的だったと言える。しかし、使ってみるとこの「小さなパソコン」の便利さは予想以上で、スケジュール管理やネットの閲覧、地図の確認からギターのチューニングまでストレスなく行え、期待に応えてくれる。まだまだ新たな相棒を使いこなせてはいないが、乗り換えには大変満足している。「iPhone5」の発売が噂される中での購入に時期尚早と笑う者もいよう。しかしこんな言葉が巷でもはや定説となりつつある。「必要な時が家電の買い時」。

平成23年5月11日
陽花が県立大宮高校へ進学
 和田家の長女陽花が今春、高校へ進学した。本トピックスの最初の記事は陽花が4才の頃のものなので、10年の歳月を経て高校進学の記事を紹介することは感慨深くある。自宅から自転車で10分以内のところに県立の宮崎西高校があるが、陽花は早くから120年の歴史を持つ宮崎県立大宮高校への進学を希望していた。自転車で30分はかかることから当初心配や助言もした。しかし「自主自律」をモットーとした校風に惹かれた本人の気持ちを尊重し、親としても進学のためだけの高校生活ではなく人間としての成長の場であればと是認した。中学校に続き吹奏楽部に入部し、希望のアルトサックスパートに決まった。新たな生活がはじまり、陽花は朝早く弁当を持って出かけていく。兄弟はそれぞれ中学2年と小学6年に進級し、相変わらずサッカーに打ち込んでいる。和田家の2011年度がこうしてスタートした。

平成23年2月27日
中田!カズ!再び追っかけの巻
  今年1月10日に口蹄疫の復興イベントとして、宮崎市で元日本代表中田英寿率いる「TAKE ACTION」チームと地元JFLチーム「ホンダロック」との試合が開催された。中田チームは、中田本人をはじめ、カズ、北沢、岡野、秋田ら元日本代表の有名選手が揃っており、全国的にも注目された。ポカポカ陽気に恵まれた試合当日、会場は多くのサッカーファンで満員となったが、サッカー少年らよりもその親世代に懐かしい面々とあって、親子で楽しめるイベントとなった。前半を1-1で折り返した後半、満を持して中田やカズが登場すると試合は俄然、盛り上がりを見せた。後半に1点を奪われた中田チームだったが、中田の大きなサイドチェンジやカズのドリブル、トップレベルの技術に大きな歓声が上がる中、中田がボレーシュートで同点弾を突き刺すと会場のボルテージは最高潮に達した。一方、和田家のボルテージはというと試合後に備えて抑えられていたことは言うまでもない。色紙を片手に複数ある会場の出口に分かれて陣取った。無論、和田家だけではなく、多くのサッカー少年が今や遅しとスター選手の帰りを狙ったがサインや握手に至ったのはごく一部であったようだ。対談で遅くなっている中田とカズを狙って最後まで粘るファンはそう多くはなかったが、人の少ない出口に賭けていた長男の倫典と後輩ら10数名が黒塗りに乗り込むのカズと遭遇。後輩は握手をしてもらい、倫典は「サインをお願いします」と頼むも「飛行機の時間があるから」とパワーウインドウが無情にもゆっくりと上がった。辺りも暗くなり、残るは中田だけとなるとさすがに人数もまばら。デジカメ時間で17時44分、ようやく中田が出てきた。その警護ぶりはまさに世界のVIPで、サインはもちろん握手といった雰囲気ではなく、誰しも遠慮がちに声をかけるのが精一杯。サングラスに派手なマフラーを纏う映画スターのよう中田のオーラに圧倒された一家は、「一目だけでも見れてよかった」と自分たちを納得させた。今回得た教訓。「サインや握手もVIPの度合いを考えろ」

平成23年1月3日
iPhoneゲット祈願!年賀状裏話
  和田家の2011年年賀状はiPhone。夫婦でauの携帯を使っているが、そろそろ買い替え時期となっている。最近では携帯端末もひとつの電気製品、しっかりした値段設定がされており、他社への乗り換えによる新規契約によるメリットは見過ごせない。Macユーザーの夫にとって、iPhoneはもちろんあこがれのアイテム。高校入学を期に携帯デビューを予定している娘はsoftbank以外を希望、家族で携帯会社が異なることは望んでいないため、春までにどのような決着を見るのかが注目される。ところで、年賀状。構想は以前からあった。AppleのHPを時々チェックする夫は、iPhoneの画像を見て今年はこれでいこうと決めていた。従来のインクジェット紙ではその質感が出せないと、早々に写真専用紙を予約。後戻りできない状況を作り出すことで夫も腹をくくった。そう大げさなものでもないが、写真や文字をはめ込んだだけの合成ものではない。イラストレーターでiPhoneを根気よく作っていくのには丸一日を要した。グラデーションを工夫したパーツをいくつか重ねていくことで、面白いほどそれらしい機器に仕上がっていく。絵文字やアイコンも手作りだが、絵文字の使い方に関して今風なのかどうかは全く自信がない。全体的な完成度と写真用紙ならではの仕上がりについては満足している。夫がiPhoneをゲットできるのか、機会があればまたこの場で触れてみたい。

平成22年7月22日
垣根がピンチ!除菌作戦開始
 新芽が赤く、緑とのコントラストが奇麗であることから生け垣によく使われるベニカナメモチの病気が流行っているのをご存知だろうか。菌が原因となって葉に黒い斑点が広がり、次第に葉が落ちていき、木が枯れてしまうこともあるという「ごま色斑点病」という病気である。我が家も1昨年から症状が見られたが、さほど気にもせず対策を怠っていたところ、今年はさらにひどくなり、多くの葉が抜け落ちた。このままでは垣根全体がやられてしまうとようやく危機意識を持ち、インターネットで対処法を調べた。なかなかやっかいな病気らしく、完治したという報告は見当たらなかったが、とにかく粘り強い除菌が必要とのことだった。菌に侵された葉や土から感染が広がるとのことから、感染した葉をできるだけ取り除き、購入した薬剤と加圧噴霧器で早速除菌作戦を開始した。正しい方法で除菌できたかについては全く自信がないが、2週間後さらに多くの枝葉を除去し、2回目の除菌を実施。今のところ新芽は奇麗に生え始めたが、3回やっても駄目だったとの近所の方の証言もあり、未だ余談を許さない状況。和田家の生け垣がいかなる運命を辿るのか。今後この場にて経過を報告させていただくことにする。
ベニカナメモチ除菌作戦の記録

平成22年2月14日
夫も脱帽!矢作との写真撮影に成功
 先月11日の「新春 人力舎爆笑ライブin宮崎」に和田家は家族で出かけた。東京03、おぎやはぎ、アンタッチャブル、ドランクドラゴンなど、お笑い好きの一家にはたまらない出演陣とあって、昨年からチケットを購入し楽しみにしていた。当日朝、すっかりテンションの上がった妻康子さんは花束やおみやげを渡そうと提案。夫敏法さんは「親戚の発表会じゃあるまし、花束など渡すタイミングなどあるわけない」と一蹴したが、康子さんのイベントに懸けるこの種の情熱はそう簡単に冷めない。夕方、小ぶりの花束と20個入りのチーズまんじゅう詰め合わせを買って帰ってきた。敏法さんはお笑いライブの列に花束を持って並ぶはずかしさが先に立ち、その無邪気さに笑って乗っかることもできず軽い喧嘩にまで発展した。予想外の展開に気まずい雰囲気の中、「矢作さんへ いつも応援しています。これからもがんばってください」とのメッセージを添えた花束を深めの紙袋に押し込んで出かけた。それでも切り替えの早い和田家はテレビでお馴染みの芸人たちのパフォーマンスに皆ご満悦、家族で至福の時を過ごした。ライブが終わり小雨の中みんなが帰途につくのを横目に一家は楽屋口へ向かった。和田家だけだった「出待ち」は総勢15名ほどとなり、20分程過ぎた頃からメンバーが少しずつ出てきた。康子さんが北陽の伊藤に「みなさんで食べてください」とチーズ饅頭を手渡すと「あっ、じゃあ代表で私が」と優しく受け取ってくれた。傍観する夫が物怖じしない妻のすごさに目を丸くする間にもぞろぞろとメンバーが出てくる。両手に荷物を持っているメンバーが多かったため握手もままならなかったが、最後に出てきた本命の矢作は手ぶらだった。このチャンスに突撃を命じられた拓真が「これどうぞ」と花束を渡すと、いつもの脱力口調で「ありがとうね」とやさしく受け取ってくれた。すかさず康子さんが「写真撮らせてもらってもいいですか?」とたたみかけるコンビネーションはもはや芸術の域でこの見事な4ショットが実現した。この日ばかりは完敗を認めた夫の頭に去来した言葉。「為せば成る為さねば成らぬ何事も」

平成21年11月1日
庭にプライベート練習ネットが完成!
 サッカーでがんばっている2人の息子たちにさらにレベルアップしてもらおうと、このほど和田家は庭に練習用ネットを設置した 。当初息子たちはミニゴールをほしがっていたが、本物のボールを思い切り蹴ったらゴール自体が動いたり壊れたりするだろうとの予測から、代替案としてネットの設置を提案。キック力をつけるために壁蹴りに励んでいた子供たちのニーズとも合致し、設置はすぐに決まった。自由なサイズのネットが通信販売で手に入ることを事前に把握していた父親は早速注文。学校などに設置されているネットを観察し施工イメージが固まると、ホームセンターへ出かけた。農業用資材でピッタリのサイズのものをゲットし、子供たちの協力のもと組み立ててみると、予想を上回る安定度で庭に登場した。子供たちもさっそく右で左でボールを蹴ると、ネットはその度にきっちりと受け止めてはやさしく返してくる。親子はすっかり満足した。両親は週末に子供たちの気持ちのこもったプレーを観に行くのが何よりも好きだ。以前できなかったことが階段を1歩ずつ登るように少しずつできるようになっている。その過程をすべて見届けていたいと思う。ちなみにネットの出来映えに気を良くした父親は、たいていの事は自分でできると子供部屋に収納庫を作るなどDIYに懲り始めた。長男の中学入学を来春に控え、大幅な模様替えが予定されており、腕の見せ所とばかりに今から構想を練っている。
ネット全景

平成21年9月2日
災害対策としての防風壁、ついに完成!
 台風で壊れた玄関のことをネタにした年賀状が平成17年のものだったので、最初の災害から5年目の夏を迎えたことになる。ようやく和田家は災害対策工事に踏み切り、この度防風壁が完成した。そもそも和田家の南側は広い駐車場となっているため、風当たりは強い。西側に面する玄関は南北の風の通路になり、遮るものがないため、突風で玄関のドアが煽られることがしばしばあった。平成16年に宮崎を襲った台風が和田家に最初の悲劇をもたらした。注意しながらそっと開けた玄関が突風に煽られた。その勢いはすさまじいもので、アルミ製の玄関フレームはゆがみ、ペアガラスは粉々に砕けた。修理代は決して安いものではなかったが、フレームのゆがみ矯正には限界があり、鍵をかけていない玄関が突風でひとりでに開くところが何度か目撃されていた。嫌な予感はあった。2回目の悲劇の日、家にいた子供たちはその瞬間に気づくことなく、割れたガラスを発見したのは遊びに出ようとした時だったという。その後、2度起きたことが3度起きた。この時和田家は、根本的な問題の解決を決意する。業者と何度も打ち合わせをし、安くて効果的な防風壁としてハードウッドと呼ばれる木製フェンスを採用。塗り替えた家の色ともマッチしたお洒落な防風壁は、まずは無難に風を防いでいるように見える。これからの台風シーズン到来を前に災害対策を終えたことで、4度目の悲劇はまず起こらないはずだ。防風機能を試す絶好の南風が吹くのが待ち遠しくもある。今はそんな気さえしている。
南側からの防風壁

平成21年4月6日
キャンプ巡り、続報!
 スポーツキャンプ巡りにすっかり気を良くした和田家はガンバ大阪に次の狙いをつけた。ワールドカップ予選が終わり日本代表の遠藤が合流、週末に予定されていた練習試合には大勢の観客が詰めかけた。試合終了後にサインを欲しがる子供たちで混乱する中、長男の倫典が好ポジションを何とか確保したが、あと1メートルというところでお目当ての遠藤が突然サインを切り上げた。キャンプ巡りもこれで終わりとなるところだが、今年の宮崎にはあの侍ジャパンの勇姿があった。巨人との練習試合初日、多くのファンが詰めかけ大混乱したことでさすがに足を運ぶことがためらわれたが、前日夜に夫は友人と決行を決意。無料の入場整理券を入手するため朝6時頃球場に着くと既に長蛇の列、あまりの人の多さに入場できないことも覚悟した。一方、妻は宿泊先のホテルに行き、球場に向かう多くの選手を間近で見ることに成功。バスに乗り込んだ選手に対し満面の笑顔で執拗に手を振った結果、根負けした城島が軽く会釈してくれたことに本人は今でも失笑を禁じ得ない。夫と友人は7時30分頃に無事入場。あれだけ並んだ人々を余裕で飲み込んだ3万人収容のスタジアムにただただ感服したが、降雨が予想されたこともあり試合開始になっても結局満席にはならなかった。イチローの背面キャッチや柵越えの連発で練習から盛り上がる中、予定どおり11時30分に試合が始まった。イチローのヒットこそ見られなかったものの、中島、小笠原、福留らのホームランなどスター選手の生のプレーに興奮した。回を重ねるにつれ両チームとも選手がどんどん交替し、一体どことどこの試合なのかわからなくなってきた頃、降雨のため試合は途中で打ち切られた宝物でも紹介したとおりの大のイチローファンである夫は生イチローに満足、侍ジャパンの快進劇もあり、最高のキャンプシーズンとなった。

平成21年2月11日
キャンプ巡りでJリーガーのサインゲット!
 宮崎は今、スポーツキャンプ真っ盛り。「スポーツランド」を標榜する宮崎に住んでいながら、これまで和田家はキャンプを見に行ったことがなかった。たまたま息子たちのサッカーも休みで、暖かいキャンプ日和となった8日、満を持してキャンプデビューを果たした。市内のシーガイアに来ている横浜Fマリノスに狙いをつけ、10時からの練習前に現場に着くも「本日の午前の練習は非公開」との貼り紙に出鼻をくじかれた。近くのホテルから出るところだけでも一目見ようと移動してみると玄関前でバスを待つ多くの選手の姿があった。しかもファンの姿はほとんどいない。サインを頼めばすぐにでも誰でも応じてくれる雰囲気が漂っている。しかし和田家はこのチャンスにただただ立ち尽くすしかなかった。オーストラリア戦を控え日本代表合宿に参加している中沢がいないこのチームの選手たちの名前を和田家は全く知らなかったのである(元日本代表の山瀬がいたかもしれないと息子たちは言っていたが)。サインを頼んで「僕のこと知っている?」と聞かれて絶句するのはあまりに失礼だ。和田家はひとまず撤退し、本屋で選手名鑑をゲットする作戦をとった。その後、読売巨人軍の近くでキャンプ中の鹿島アントラーズに狙いを変更し、移動。練習を少し見学していたら、早めに上がっていく元日本代表の小笠原を発見。小笠原を知らない次男に突撃を命じ、最初のサインをゲットした。塾のテストを終えた長女を拾い、シーガイアにある公園で久しぶりに家族そろっての休日を楽しんだ後、再びマリノスキャンプに向かった。丁度練習も終わる頃で、ファンが囲む通路脇で選手を待つことにした。最初に上がった松田から最後にサインをくれた山瀬までほとんどの選手が丁寧にひとりひとりのサインに応じてくれた。すっかりご満悦の息子たちは今度はガンバ大阪のキャンプで遠藤のサインをゲットすると意気込んでおり、WBCキャンプのイチローや松坂も捨てがたいことを考えると、和田家のキャンプ巡りはまだ始まったばかりなのかもしれない。
※写真やサインはこちら

平成21年1月13日
どこまで続くか!?和田家のルーキーズブーム
  和田家の2009年の年賀状はルーキーズのパロディとなった。今年もパロディ版となってしまったことには特に触れない。「ルーキーズ」は昨年4月から7月にかけてTBSで放映され、平均視聴率15%を記録した人気ドラマである。和田家は10月に放映されたスペシャル版を見て好きになり、その後再放送されたドラマで完全にハマってしまった。ハードディスクに録画し何度も見て、子供たちは台詞まで覚えてしまうほど。母親も毎回ハンカチを濡らしながらの鑑賞となり、最後は放映を待ちきれずにDVDをレンタルした。このような中、年賀状のネタに困っていた父親がこのドラマに白羽の矢を立てたのは至って自然な流れと言える。野球でなくサッカーに夢中の息子たちだったが、スポーツには変わりないと開き直って製作を開始。写真の出来がすべての鍵を握ると考えた父親は、子供たちの顔に泥を塗ったり髪の毛を濡らしたりしながらいろいろなポーズを要求し、子供たちに嫌がられた。文字はオリジナルに一部文字を差し替えたもので、ロゴはオリジナルに似せて作成。父親を教頭先生役で、母親を保健室の先生役で載せようという構想もあったが、やりすぎと考えて見送った。幻想的なバックが新たな年の幕開けにふさわしく、完成度はまずまずと評価している。冬休みの宿題のついでに例の文字を書いたり、年末に通販で安仁屋役の市原隼人のカレンダーが届くなど、もはやこの勢いは誰にも止められず、今年5月に映画版の公開が控えていることを考えるとまだまだこのブームは続きそうだ。

平成20年8月31日
新車ステップワゴンを購入!
 和田家は永年乗り馴れた愛車「イプサム」に別れを告げ、新車「ステップワゴン」を購入した。日産のマーチからトヨタのイプサムに乗り換えたのが平成9年6月、丸11年乗ったことになる。車検を諦め、新車の購入を決意したのが車検期限の3週間前であるから、車選びも短期間の勝負となった。イプサムはとても気に入っていたし、定期点検も毎回ディーラーに出しながら乗りつぶすつもりで大事に乗ってきた。おかげさまで、電気系統の接触不良が原因と思われるエアコンの不調以外は故障らしい故障もなく、まさに子供たちの成長と共にあった。しかし買い替えを決めてしまうと行動が早いのは和田家の(主人の)特徴である。決めていた5ナンバーで8人乗り程度のミニバンであるトヨタのヴォクシー(ノア)、日産のセレナ、ホンダのステップワゴンを精力的に見て回り、試乗した。ヴォクシーは高級感のある内装とモデルチェンジ直後というのが魅力であるが、トヨタならではのソフトな乗り心地が背の高いハコバンでは逆に酔いを誘うという印象。セレナは広い室内とどっしりとした安定感が魅力であるが、コックピットの古さが向こう10年乗る車としては疑問。ホンダ車は軽くて燃費はいいが、その分ドアや内装がお粗末で安っぽいというイメージを勝手に持っていたので、ヴォクシーかセレナに決める前に乗るだけ乗っておこうという気持ちで試乗してみた。すると、走りは一番スムーズで低重心を売りにしているだけあってキビキビと動く。シートも安っぽいというイメージだったのが、程よい質感と座り心地が意外であった。最終的にセカンドシートの真ん中の座り心地が悪いヴォクシーを外して、セレナとステップワゴンで随分悩んだが、車検期限の直前にステップワゴンに決めた。HDDナビゲーションや子供たちが熱望した後部座席モニターなどを含めると安い買い物ではなかったが、夏休みの旅行や週末のサッカーなどで早速大活躍しており、これから共に思い出を刻む我が家の相棒として大事に乗っていきたい。

平成20年6月25日
倫典が全日本大会で健闘!
 少年サッカーの最も大きな大会である第32回全日本少年サッカー大会が開幕し、県内93チームが全国大会の切符を目指し熱戦を繰り広げた。全日本大会は開会式と抽選会で1日を費やすほどの大会で、事前に行われた抽選により1回戦はシードとなり、2回戦からの戦いとなった。まずは1勝を目指し臨んだ2回戦は初戦を突破した宮崎の住吉のチーム。キックオフ直後は固さが見られたものの、前半早々にミドルシュートが決まるとチームに活気が出てきた。サイドからの攻撃が徐々に機能し始め、前半にを加えた江南が4-0で快勝した。倫典も後半終了間際にFWで出場、ゴール前の競り合いで惜しいシーンがあるも得点には絡めなかった。日を改めて行われた3回戦の相手は先に行われたキッチン杯という大会で優勝した日南の福島。試合開始直後にフリーキックを直接決められ先制されると、さらに1点を追加され序盤で2点のリードを許す苦しい展開になった。倫典はそんな前半途中に主力選手のマンツーマンでのマークを指示されピッチに立った。体も小さく、技術もまだ高くない倫典だが、粘り強いディフェンスは少しずつできるようになっている。体の大きい6年生にマークを外されたり、倒されたりすることもあったが、倫典なりに必死に食らいついていた。江南もあきらめずによく動き、徐々にいい形での攻めが見られ始めた。後半になってキーパーと競り合いながらも頭で押し込み1点を返すと、完全に江南のペース。父兄の応援にも熱が入り、シュートがゴールをかすめる度に立ち上がって頭を抱えた。選手全員が最後までゴールを目指して戦ったが、後半途中から降り出した雨の中、終了のホイッスルが鳴った。1-2で惜しくも敗れたその試合は監督もよく頑張ったと褒めてくれ、格上を相手に善戦した小柄なチームが頼もしく感じられた。倫典も最後まで与えられた役割に徹し、今持てる力をすべて出し切ったと思う。大きな感動を与えてくれた江南の子供たちの今後が益々楽しみとなる全日本大会だった。
※写真は3月の大会時に撮影したもの

平成20年5月31日
陽花の中学校生活がスタート!
 最後のスポーツ少年団のバレーボール大会で3位入賞を果たし、感動の卒団をしたのが3月。バレーボールに打ち込んだ小学校生活にピリオドを打ち、陽花はこの4月に中学校に入学した。小学校の卒業旅行というのはあまり聞かないが、春休みには小学校最後の思い出にとバレーボールの親友らの家族とディズニーランドへの旅行を楽しんだ。和田家の家族旅行では天候に恵まれないことが多いが、よその家族と一緒だったせいか、爽やかな晴天に恵まれ心ゆくまでディズニーリゾートを満喫することができた。最後の思い出をしっかり胸に刻んだ陽花は、翌週には真新しい制服に袖を通し、中学校の入学式に臨んだ。部活動についてはかなり悩んだようで、スポーツをするなら今までがんばってきたバレーボールがいいと言っていた陽花だが、吹奏楽に興味を持ち、5月になって正式に入部した。たまたま家に楽器があることなどから担当楽器はサックスを志願。希望者が多いためオーディションとなったが、なんとか合格しサックスを吹かせてもらえることになり、現在は基礎練習に励んでいる。自転車通学や文科系の部活、塾通いなどこれまでと大きく環境が変わったが、いろんな事にチャレンジしながらあせらずに自分のペースで成長してほしいと願っている。

平成20年4月27日
壁を塗り替え、マイホームをリニューアル
 和田家がモデルハウスを買ったのは平成10年の暮れ。目安とされる10年が経過した先月、和田家はとうとう壁の塗り替えに踏み切った。数年前から熱心なセールスが度々訪れ、いくつか見積もりを取っていたものの、経済的な理由から施工は見送っていた。今回、半年前にもらっていた見積もりから随分安くしてくれるというので、いつかはしなければならないのであればと決心した。確かに壁の色は入居当時からして随分と褪せ、一部緑に変色したり、触ったら白い粉がつく部分もあり、塗り替えないよりは塗り替えたほうがよいことはわかっていた。もともとモデルハウスであり、壁の色なども好みに合わせて選べたわけではないので、この際好きな色に変えてリニューアルするのも悪くないと考えたようだ。パソコンで家の色を塗り替えてさまざまなシュミレーションを行いながら、和田家の主人が推す白と妻の康子さんが推すクリーム色をベースに検討した結果、中間の上品な白っぽいクリーム色に落ち着いた。あまり色を多くせずにシンプルにと考えていたので、残りの屋根や軒天、ベランダなどは塗り替えができないサッシの色に最も近そうな色を選んだ。結果は写真のとおり、明るくおしゃれに仕上がり、今回の業者の持ち合わせている色の中ではベストのチョイスではなかったかと自負している。塀の色をもっと濃くすればよかったと多少の後悔はあるものの、屋根の上の使っていないアンテナを撤去したことも手伝って、すっきりリニューアルできた。壁の塗り替えで極端に家の寿命が延びることはないと思うが、明るくなった家に住んでいると気分も明るくなってくるような気がするから不思議である。

平成20年2月11日
拓真くんがまさかのサッカー転身!
 和田家の次男拓真くん(8才)がバレーボールを引退し、サッカー選手へと転向していることが明らかとなった。拓真くんは元来、目立ちたがり屋で何でもすぐにやってみたくなる性格。当時5年生だった姉陽花ちゃんのバレーボールに毎週のようについていくうちに自分でもやりたくなり、1年生の冬に女子バレー部に入団した。入団前も体育館の外で兄たちがゲームに興じている間、拓真くんはひとりバレーの試合を観戦し、的を得た質問や解説で度々父親をうならせた。同じ小学校には男子バレー部もあるが、陽花ちゃんが卒団するまでは女子のチームという約束で入団を許した。入団以来、背格好も全く異なる先輩たちに可愛がられながら練習に励み、球拾いでふざけたり、試合中にベンチで船を漕ぐ愛嬌振りでチームを和ませた。しかし兄の倫典くんがサッカー部に入団したことで転機が訪れる。もともと試合に出たがりの拓真くんはサッカーにU-10などの下級生だけで出場できる試合が数多くあることに目敏く着目。兄のサッカー友達に交じって遊んでいるうちにいつの間にか、そして意外なほど早くサッカーに傾倒していった。昨年の暮れは「ねえ、たっくんはいつからサッカーに入れると?」との質問を1日に何度も繰り返す始末。人数の少ないバレー部では特に5年生以下の試合など、拓真も一応貴重な戦力で、退団前は出場機会も少なくはなかった。年が明けていよいよ拓真が今日をもって退団するという最後の試合。6年生チームの試合ではあったが、監督の粋な計らいで背番号2番を付け、最終セットは先発でフル出場させてもらった。これまでの集大成ともいえるプレーを披露、飛びついて拾ったレシーブでは応援の親達も含めこの日最高の盛り上がりとなり、ベンチにいた母親は涙を流した。小さい体で物怖じせずに女子バレー部に飛び込み、夜は机で眠ってしまい怒られながらも頑張ってきた息子に父親も心からの拍手を送った。チャレンジ精神旺盛といえば聞こえはいいが、飽きっぽい性格の拓真くんはこうして念願のサッカーへの転身を遂げた。すぐにハンドをしてしまうという後遺症をようやく克服し、今は3月に行われる2年生以下の試合に向け練習に励んでいる。

平成20年1月15日
恒例の年賀状裏話
  「忙しいからというのは言い訳で、実はもうパロディしかできなくなっているのです」。今年の年賀状を前にして、和田家の父親はそう激白した。数年前からオリジナリティのあるデザインでの年賀状づくりを目指してきた和田家だが、結局今年も実現できず、道のりは相当険しいようだ。もっとも母親はごく普通の年賀状を希望しており、「市民本位のまちづくり」ならぬ「受取手本位の年賀状づくり」と意気込む父親に対し、家族がさほど熱くなっていないのは毎年のことだ。さて、今年の年賀状。取りかかったのは12月23日のことである。「あれこれと意見を言う時期ではない」と近年になく年賀状づくりに協力的だった母親の姿が切羽詰まった状況を物語っていた。ビートルズのアルバムタイトル「A Hard Day's Night」と「A Happy New Year」の出だしの3文字が同じで、文字数も近いことに気付いた時、すべてが決まった。当初、アルバムジャケットのようにいろんな表情の写真を載せるつもりだったが、どうせなら小さい頃からの写真を載せると楽しいのではないかと思うに至った模様。実はこの作業が困難を極め、年末の大掃除時期だというのにあれでもないこれでもないとアルバムを引っくり返すのだから、和田家は力を入れることろが違う。スキャナーで取り込み、ひとつひとつ切り抜く作業は大変だったようだが、オリジナル同様切り抜きの精度はさほど追求していない。白黒に変換した後の色合いに統一感を出す作業には気を使っているが、髪の色の違いでもわかるとおり完成度はさほど高くない。これに関してはもともとの写真の明暗度合いが異なるため補正には限界があったとする見方が強い。「完成した年賀状は結果的に楽しいものとなり、パロディとしてもまずまずの出来ではないか」と父親は評価している。パロディ路線に対して開き直りともとれるこの発言からして、オリジナル年賀状の発表はまだまだ先のこととなりそうだ。しかしこの年賀状をビートルズアルバムのパロディだと指摘した人はおらず、多くの人がオリジナルのデザインだと思っているであろうことは皮肉としか言いようがない。

平成19年9月3日
野生のイルカを満喫!天草の旅
  先月11日から13日にかけて、毎年恒例の夏旅行で天草に出かけた和田家は待望のイルカの群れに遭遇し歓声を上げた。11日の昼に宮崎を出発し、高速道路を松橋で下りた後、陽が傾き始めた幻想的な御輿来海岸に面する天草街道に車を走らせた。天草の入口「三角」の地魚料理のお店でお腹を満たした後は天草五橋1本目の「天文橋」を渡り、目的地の野釜島のキャンプ場を目指した。キャンプ場に着いた頃にはもう暗くなっていたが、土曜日ということでバーベキューを楽しむ家族連れで賑わっていた。テントに荷物を降ろすと、すぐに近くの温泉へ。疲れを取った後はお約束の花火を楽しみ、明日に備え早めに休んだ。翌日、天草五橋の残りの4本を次々に走破し、一家は目的地の天草下島の五和町を目指した。五和町はイルカウォッチングの拠点で、多くの業者が船を出している。予め予約していたお店で手続きを済ませ、11時半の便に乗り込んだ。船首の甲板をいちはやく確保し、意気揚々と出航。わずか10分ほどで最初のイルカに遭遇した。数頭のイルカに感動するのも束の間、目の前に数十頭のイルカが船を先導するかのように優雅に泳ぐ姿に言葉を失った。この海域に200〜300頭が生息するというが、沈んでは現れ、船と並走するイルカはなんとも愛らしい。子どものイルカを目にする度に皆が一斉に声を上げ、のんびりと流れる非日常的な時間を皆が共有した。多くの船がイルカを探すという漁さながらの様相にはあえて気に留めずに、30分程のイルカウォッチングを終え、港に戻った。お昼の海老料理店で注文の品が1時間近く出てこないという不運もあったが、夜は海の幸をたらふく堪能。温泉で疲れを癒し、昨夜のキャンプ場に戻った。夜は夏休みの宿題を兼ねた夜空の観察。流れ星を見たことのない子どもたちと母親は満天の星空の下で大の字になり、複数の流れ星を見ることができたこともこの旅の大きな収穫となった。「ここ辺りは雨は降りませんから」という強気のキャンプ場経営者の言葉と裏腹に明け方からは雨となり、遊園地グリーンランドに向かう途中には計画変更も頭をかすめたが、入園する頃には止み、1、2時間を経過した頃からは雨天のため運行を見合わせていたすべての乗り物が稼動を始めた。たっぷり遊んだ後は、例に洩れず温泉へ。その後南阿蘇経由でお盆の帰省先日向へ向かった。後日。テレビの旅番組で次長課長が例の海老料理屋へ。うまいうまいと海老を頬張る二人を見た子どもたちは、「あんなに待たせたのに、これを見て客が増えたらずるい!」と憤懣やる方ない様子であったことを付け加えておこう。
※行程図はこちら

平成19年8月8日
世界にひとつだけのメロン
  まだ小さいメロンに傷を付けるとその傷に沿って編目(マスク)が作られる。そんな性質を利用して子供たちが名前や絵を刻んだ「世界にひとつだけのメロン」が無事に成長し、我が家に届いた。この企画はバレー部の父兄にメロン農家の知り合いがいたことで実現、バレー部員とその兄弟たちが6月10日にメロンハウスを訪れた。先に紹介したサントリーカップ予選前ということもあり、陽花は必勝を祈願。下の子供たちもそれぞれバレーボールや笑い顔を書いたがいずれも奇麗な編目が浮き出た。つるに実った小さいメロンを握り、クギで丁寧に傷を付けていく。傷が浅すぎると編目が綺麗に浮き出ず、逆に深すぎると腐ってしまう。微妙な加減が必要な難しい作業ではあったが、20個ほど傷を付けたメロンのうちで育たなかったのは1個だけだというからまず成功と言えよう。我が家の子供たちはひとり1個を熱望。買い取り価格も破格の安さではあったが、下の弟たちにはふたりにひとつで我慢してもらった。7月中旬、無事に大きくなったメロンを手にしてみると、傷つけた文字や絵がくっきり浮き出ていることに感激。冷蔵庫で冷やしてはみたものの、さすがに包丁を入れるのはためらわれ相当の勇気を要した。切ってしまえばそれは普通のおいしそうなメロンであり、数日後には綺麗になくなった。今ではこの写真が残るのみだが、植物の不思議に触れ、おいしい思いも出来た夏の珍事であった。

平成19年7月8日
陽花、バレーボールで悲願の県大会出場!
  先月2日と3日に開かれた第27回全日本バレーボール小学生大会(サントリーカップ)宮崎市予選会において、陽花が所属する江南スポーツ少年団(女子バレーボール)が悲願の県大会出場を果たした。県大会につながる大きな大会は、2月の新人戦、今回のサントリーカップ、7月の県スポーツ少年団大会(サントリーカップ県大会出場チームは出場資格なし)と10月のほっかほっか亭杯の計4大会。新チームになってから、2月の新人戦以降、結果の出ない試合が続いたが、大きな大会でのびのびと力を発揮した。今回のサントリーカップで市の予選会にエントリーしたのは36チーム。このうち9チームに県大会への出場権が与えられる。3チーム毎に分けられたリンクリーグで1位になったチームのみが翌日の決勝トーナメントに進むことができる。シードチームの入ったリンクに入らないというくじ運にも恵まれ、倉岡と赤江Bを順調に下し、2日目に望みをかけた。2日目の決勝トーナメントでは2月の新人戦県大会の優勝チーム東大宮と対戦。やはり力の差は大きく1回戦で敗退した。しかし、1回戦敗退チーム6チームのうち、3チームは敗者復活戦により県大会出場権を獲得できるため、集中力を高めて恒久との決戦に臨んだ。これに勝てば県大会とあって、両者力のこもった熱戦の末、2セット連取で涙の勝利を手にした。陽花も得意のサーブがこの日も好調で勝利に貢献。昨年度は先輩たちが惜しくも果たせなかった本大会での県大会出場が現実のものとなり、子供たちには最高の涙や笑顔が溢れた。先月30日に開かれた県大会では惜しくも予選で敗退したものの、県内の強豪を相手に善戦し、次のほっかほっか亭杯に向けて手応えを感じることができた。ほっかほっか亭杯は昨年先輩たちが県大会ベスト8に入る大健闘を見せた思い出の大会。今年もまずは県大会出場、そして県大会での初勝利を目指しがんばっていこうと誓っている。

平成18年9月4日
貯金箱、金額予想の結末は!?
  和田家では今の家に移った時から貯金箱にみんなで貯金を始めた。500円ばかり貯めると30万円貯まるといううたい文句の貯金箱はリビングのカウンター下に置かれ、何のルールもなく気が向いた人が気が向いた時にお金を入れてきた。もっともほとんどは母康子さんが貯めたもので当初は500円玉ばかりを入れていたという。その他はテーブルの上にあった所有者不明の小銭や掃除機をかけるときに見つかった床の小銭。ほぼ満杯となった貯金箱はかなり重かった。いよいよ開ける夜、みんなで金額を当てようという話になったから子供たちは大はしゃぎ。500円を随分入れたとの自信がある康子さんは73,000円と予想。それに習って陽花ちゃんと倫典くんはそれぞれ69,758円、75,683円と予想。そこまではないとみた敏法さんは55,000円と予想、拓真くんが51,000円と続いた。優勝から5等までの賞金を1,000円、500円、100円、50円、10円と決め、いよいよ缶切りを入れた。意外に500円が少ないことで敏法さんは自分と拓真くんの争いになるだろうと感じた。みんなが同じコインを整理している中、拓真が目をギラギラさせて、父に耳打ちした。「ねえ、変えていい?」。挙動不振の拓真くんの考えはすぐに兄姉の知れるところとなり、猛反発を受けた。「ちなみにいくらと思うとか?」との父の問いに拓真は「80,000円」と鼻息を荒くし、しかし平静を装うかのような素振りで答えた。「お父さんは変えんほうがいいと思うぞ。」と説得を試みたが、いかにもザッと数えましたという顔をした拓真くんは聞く耳を持たない。相談の結果、どういう結果になっても泣かないならいいとの条件で変えることが認められた時、横で「してやったり」とほくそ笑む拓真くんの姿があった。拓真くんのビリを確信した父は、「ズルをすると痛い目に会うということを教えてやりたかった」とその時の心境を語っている。結果は53,555円。敏法さんが最も近く、変えなければ2等だった拓真くんは一転してビリに。彼が大泣きしたのは言うまでもない。イソップ物語的な教訓を残したこの出来事の数週間後、このお金を使って一家は、夏休み最後の思い出づくりにと熊本へ旅立った。

平成18年7月6日
メダカの大量繁殖に成功!
  和田家が飼っているメダカが今夏、大量の卵を産み、驚くほど多くの赤ちゃんメダカが誕生した。内村家で孵化した赤ちゃんメダカを譲り受けたのが2年前、昨年も数十匹の赤ちゃんが確認された。知り合いに譲った残りを大事に育てていたが、親メダカに食べられるなど自然淘汰の結果、大きくなったのはわずかに2匹だった。今回、その子メダカも親メダカもメスというメスはお腹に卵を抱え、朝に付いていた卵が夕方にはなくなっているのを妻の康子さんは目撃した。そういった現象が4〜5日繰り返された後、康子さんが水草を専用の容器に移して孵化するのを待ったことは、いかにも的を得た行動だったと考えられる。外に置いていたため、水は濁り、藻が発生し、タニシが異常に繁殖し、ボウフラもウヨウヨ湧いたが、自然の状態を保ったのが功を奏したのか、大量の赤ちゃんメダカが誕生した。その数は数百匹に上るとみられ、最近になってようやく孵化が完了した模様だ。長男の倫典くん(8才)は学校に持って行き、クラスの子供たちや先生に歓迎されたほか、近所の家族も喜んで持って帰った。それでもなお、数百匹の赤ちゃんメダカがひしめいていたが、前述した劣悪な環境に見ているほうが耐えられず(ボウフラがまさに蚊になって飛び立とうと水面でもがいている貴重な光景を目撃できたのだが)、きれいな水槽に移されている。ただし、最近になって、家のメダカ、クラスのメダカともに、激減しているとの情報もあり、親メダカと一緒に飼わなくても、育たない原因があるものとみられる。水替え等の急激な環境の変化に耐えられなかったとの見方が強いため、未だに孵化した専用容器に残っている赤ちゃんメダカは、しばらくはそのままにしておく措置が取られる模様だ。果たして今後、何匹が成長していくのか、和田家にも全く予想がつかず、暗中模索の日々はまだまだ続きそうだ。

平成18年3月28日
拓真くんが自転車レースで優勝!
  先日開催された天満橋サイクルフェスタの幼稚園の部において、和田家の二男、拓真くん(6つ)が見事優勝に輝いた。同フェスタは宮崎市内を流れる大淀川にかかる天満橋の開通を記念して企画されたもので、27日の開通前日に幼児の部や小学生の部などのキッズレースのほか、チームレースや3時間耐久レースなどが行われた。近くに架かる橋として開通の日を楽しみにしていた和田家としては、この企画に早くから注目し、拓真くんが幼稚園の部に、倫典くんが小学校1・2年生の部に、父親を加えた3人でチームレースにエントリーした。あいにくの小雨の降る中、41名がエントリーした幼稚園の部が最初に行われ、拓真くんは6才のみで行われた一次予選をトップで通過。二次予選ではコーナリングに失敗し2位、濡れた路面で転倒者が出たため急きょ直線のみのコースに変更された決勝では、スタートから飛び出しダントツの走りで見事優勝した。次に行われた1・2年生の部には最多の54名がエントリー、コースは直線のみだが400メートルはあろうかという長さ。スタートラインに立つ参加者のマシンを見るや、父親は我が子の置かれた不利な状況を認めざるを得なかった。予選2組でスタートした倫典くんは、ギア付きの大きなマシンに追い付こうと必死にペダルを踏むものの、無情に車輪は小さく回り続けるだけで、前へ前へとは進んでくれない。最後の下りまであきらめなかったが10人中7位に食い込むのがやっとで、一次予選で姿を消した。雨が上がった夕方になってようやく行われたチームレースは、ママチャリ、BMX、折り畳み自転車、補助輪付きミニ自転車を乗り継ぎながら、全長約600メートルの橋を1週半するというもの。3名以下のチームは誰かが複数の自転車を担当しなければならない。必然的に父親が最初の2つを担当、太ももをパンパンにしながら必死にこいだが、マイヘルメットやサイクリングスーツを身にまとった人々の間では赤子同然に打ちのめされた。父親の出遅れが響き、子供たちの健闘空しく予選で10チーム中9位という成績に終わった。雨や寒さに耐えながらがんばった甲斐あり、優勝した拓真くんは副賞として海産物セットをゲットした。商品の伊勢海老やうちわエビはその日のうちに刺し身になり、あっという間になくなったが、新しい橋を舞台に繰り広げられたレースの思い出はずっと記憶に残ることだろう。

平成18年3月14日
ズレータの前で演奏!
  先月19日、和田家の主人が所属する市役所ミュージッククラブのユニットは福岡ソフトバンクホークスのフリオ・ズレータ内野手の前で演奏するという珍事を体験した。同クラブの定期演奏会を来週に控えたその日、本番の会場であるニュー・レトロ・クラブでリハーサルを兼ねた演奏をしていた。ズレータ来店の報がもたらされたのは、2回のステージを終え、そろそろ帰ろうとした頃だったという。野球に疎いメンバーも多く、ズレータを知っているのは5名のうち2名ほどだったが、こんな経験もめったに出来まいと、もう1ステージ行うために彼の到着を待った。日曜の夜のほとんどお客のいないお店に姿を現したズレータはチェックのシャツにジーンズというラフな格好。顔を知らなければただの大きい黒人といった風貌だったようだ。中央のボックス席に陣取ったのを見るや、ステージに上がり、ロッド・スチュワートのR&Rナンバーを演奏した。片言の英語でのMCを交えた演奏をズレータが喜んでくれたことは、演奏後「サインをしたい」との申し出があったことでもわかる。「ギターに野球選手のサインをもらうのはちょっと・・・」と、あまりホークスやズレータのファンではないメンバーはサインの申し出に対して動揺の色を隠せなかったが、代わりに携帯電話の裏やギターケースにサインをもらい、写メールを一緒に撮った。興味のないメンバーは演奏後速やかに店を後にしたが、乳児を連れて夜中に迎えに来てくれたメンバーの妻を待つことができた3名は、届いたデジカメで記念写真を撮ることができた。ズレータにサインをもらう人は多いだろうが、演奏を聴かせる人は少ないだろうとささやかな優越感を覚えた和田家の主人は、多少消えかけた貴重な携帯電話のサインを前に今期のズレータの活躍を祈っている。

平成18年2月15日
ポスター調年賀状裏話
  昨年の雑誌表紙調の年賀状があまりにゴチャゴチャしていたと自ら反省した和田家は今年、シンプルさを追求したポスター調年賀状が採用された。撮影は、芝生の緑色に定評があり、昨年放映されたNHK連続テレビ小説「わかば」のオープニングでも使われた、市内の公園、フローランテ宮崎で行われた。長女陽花ちゃん(11才)がスポーツ少年団でバレーボールを始めたこともあり、ユニフォームを着た動きのある絵を撮りたいというのが撮影場所を選んだ理由だという。撮影当日は農林水産まつりが開催されており、とても撮影ができる状況ではなかったため、人が少なくなる夕方まで数時間待たされた。11月末の野外は多少肌寒かったが、人がまばらになった頃合いを見計らって撮影を決行。いきなりユニフォームに着替え始めたくらいではさほど興味を示さなかった来園者も、父親の号令のもと、何度もダッシュを繰り返し始めてからは何事かと気になる様子であった。周囲を気にせず、撮影を指揮した父親だったが、閉園時間も迫り、陽も陰り始め、主役たちが演技に飽きてしまってはお手上げで、イメージした成果は得られないまま撮影会は終了した。父親は「本当はスタート前ではなく、走り始めた直後のもっと手足の残像が残るような、動きのある作品にしたかった。ただ、陽が傾き、陰が長く伸びたのはいい効果が出た。」と語っている。ユニフォームを着てからは、たった6枚しか撮影させてくれず、その中から4枚目のものを採用した。中央に文字を入れるか入れないか、入れるとしたら何かでかなり悩んだが、太陽の下で芝生の上を裸足で駆け回ること、また、そういった光景が多く周りにあふれていることこそが人生の意義であるという思いを込め「It's A Meaning Life」という文字を挿入し、完成させた。なお、「It's」を「I'ts」と書いてしまい、150枚近く印刷した年賀状を郵便局で交換した事実は、関係者以外あまり知られていない。

平成17年10月23日
拓真くんがテレビで快演!?
  和田家の次男、拓真くん(5つ)が先日、地元テレビに出演した。出演したのは「あっぱれ!Miyazaki」という番組で、拓真くんが通う大淀幼稚園が番組恒例の玉入れに挑戦した。生放送の番組で、拓真くんは当初、竹馬を披露するメンバーに入っていたが、残念ながら雨天により竹馬のシーンはカットされた。玉入れの前に、ホールに集合した園児が幼稚園の歌を合唱し、リポーターのインタビューと続いたが、2番目にインタビューされたのが拓真くんだった。「たくまくんは大きくなったら何になりたいですか?」と聞かれ、「大工さん」としっかり答えた。これまで大工さんになりたいなどとは一度も聞いたことのない父親は、録画した映像を見ながら多少ズッこけたらしいが、リハもなしに、突然の質問に堂々と答えてくれたことに両親は満足しているようだ。生放送という意味をどれほど理解していたのかは不明だが、その後すっかりリラックスした拓真くんは大きなあくびを披露している。それはまさに、園長先生がインタビューに対し「元気のいい、活気のある、そんな子供に育ってほしい。」とコメントしている最中だったから始末が悪く、偶然とはいえ、コメントと画像の絶妙なコントラストを楽しんだ県民も多かったと思われる。その後、他の園児代表8名が玉入れに挑戦。これまでの田野町めぐみ保育園の記録28個を大きく塗り替える34個を入れ、盛り上がりが最高潮に達した。ちなみに、大工さんになりたいと常日頃言っているのは兄の倫典くんであることから、少なからず影響を受けたものとみられ、子供達の建ててくれた家に住むのもまた両親の夢となっている。最後に、以前紹介したボロボロの自転車を拓真くんは卒業し、ピカピカの新車を手に入れたことを報告しておきたい。

平成17年9月25日
宮崎夏の陣、たまごっち争奪作戦!
  たまごっちが大流行し、お父さんが子供から預けられたたまごっちに会社でエサをやるという異様な事態が頻繁に報告されたのはどのくらい前のことだったであろう。今、巷ではたまごっちの第二次ブームに湧いている。和田家の子供たちが欲しいと言い出したのは数カ月前のことになる。しばらく何も買ってあげていないし、さほど高いものではないため、早速近くのトイザらスに出かけた。そこで店員から「現在、在庫がありません。入荷の予定もまったくわかりません。」と衝撃的な事実が告げられ、一家は事の重大さを初めて認識した。インターネットオークションでもやはり高額な取り引きが続いていたことから、しばらく情勢を傍観することに決めた和田家だが、後日、トイザらスへの入荷予定の報が伝わった。休日のその日、1時間前に並ぶことで余裕のゲットを目論んだものの、開店前の長蛇の列に一家は愕然とする。急きょ、2手に別れる作戦に変更、父と陽花ちゃんが別働隊としてダイエーへ送り込まれた。ダイエーへと急展開した陽花ちゃんの隊は、敵がまったく並んでいないことからダイエーの入荷はないとの仮説を立てたが、携帯電話を忘れるという戦場では致命的なミスを犯しており、本隊との連絡が取れぬまま、とりあえずは開店を待つことにした。しばらくたって、トイザらスですぐ後ろに並んでいた母子が現れ、開店前に整理券が配られたところ、この母子の数人前でなくなったとの情報がもたらされた。士気が下がるのを覚えた二人だが、開店しておもちゃ売り場に急いでみると、そこには数ケースのたまごっちが並んでいたのである。普段人見知りの激しい父が、後ろの母子と「よかったですね!」と涙ぐんで健闘を称えあうといった後々まで語り継がれる異常な光景が見られたのもこの時である。このことについて、「知らない人と満面の笑みで喜びあうなんてことは今までなかったし、よくよく考えるとはずかしい。」と父は後日語っている。一方、整理券が入手できないと知った本隊は、疲れもみせずに踵を返し、レマンへと行軍。炎天下の中の歩兵小隊の移動は過酷を極めたが、敵の目立った抵抗もなく、見事にたまごっちを勝ち取っている。結局、たまごっち5個という過剰な戦利品を得て一家の戦いは終わった。 知人が2個買い取ってくれたお陰で丸く収まったが、その後紛失が相次ぎ、外のカブト虫の傍で見つかるなど何度か発見されたものの、拓真くんのたまごっちが未だ行方不明で現在もなお捜索活動が続いている。
作戦展開図

平成17年8月31日
和田家に待望のセカンドカー登場!
  今月27日、和田家に待望のセカンドカー、ダイハツ「ムーブ・ラテ」が納車された。これまでは、9年前に新車で購入したトヨタ「イプサム」が和田家の唯一の足であったが、子供達が大きくなるにつれ、行動の多様化が進み、2台目の車購入を求める声は以前から聞かれていた。主人がゴルフに出かける時にでさえ迎えに来てもらいながら先送りしてきた車購入を決断させたのは、長女陽花ちゃんが始めたバレーボールだったという。江南小学校のバレーボール部に入部してから、平日の送り迎えや土日の試合などで車に乗る機会が増え、残った家族が何もできないだけならまだしも、別の予定がある時になどはそのやりくりに頭を悩ませていた。そこで、妻康子さんの通勤車を兼ねた軽自動車の購入に踏み切った。当初、康子さんは「ミラ・ジーノ」が気になっていたとのことだが、ダイハツを訪れた際に夫は「ムーブ・ラテ」に興味を示し、妻も何となくその気にさせられ、「ミラ・ジーノ」をじっくり見ることもなく帰途についた。帰りながらふと立ち寄った日産の「モコ」にも惹かれたとの情報もあるが、かわいい外観と車内の広さなどから「ムーブ・ラテ」に決めたとの見方が強い。黄色がいいという父、黄色もいいが緑もいいという陽花ちゃんとピンクもかわいいという母。念のために聞いた息子達が紫がいいと言い出したことで緊張が走ったが、慌てた陽花ちゃんと母が黄色1色に絞り、郵政民営化法案を彷佛とさせる多数派工作は、僅差で黄色に決着した。ガソリンの高騰が日本の経済に重くのしかかる今日、燃費のいい軽の登場によっていかに燃料費を抑制できるか、さらには減価償却期間をとっくに過ぎた「イプサム」をどこまで延命できるかが今後注目される。

平成17年7月24日
初代カブト虫に孫が誕生!?
  平成15年に和田家が飼っていたカブト虫が卵を産み、成虫になったことは先に紹介したが、今年も卵から成虫に孵すことに成功した。捕まえてきたカブト虫も一緒に飼うため、初代カブト虫の血を引くかどうかは定かではないが、そうだとしたら孫が誕生したことになる。成虫となったのは現在4匹(右写真)で、いずれも小ぶりなオスばかり。市販のボックスにたくさんの卵を入れ、多くの幼虫がひしめいていたことから、栄養が不足したためとみられる。今後、ボックスを本来の目的で使用するかもしれないというセコい考えから、空気穴をあけずに、時々換気を行うというセオリー無視のやり方で育てた。換気のほか、土の乾燥に気を使ったのはよかったが、水道水をそのままかけるというこれまた安易なやり方に家族は一抹の不安を覚えたのも確かだ。昨年の失敗から、冬以降は全く土の中をいじらず成虫になるのを待ったが、7月に入っても一向に姿を現さなかったことに業を煮やし、一家はまたしても禁断の発掘に手を染めることになる。今年は埋蔵文化財を発掘するかのような優しさで細心の注意を払い、ゆっくりと一か所を掘り進めていったが、ある瞬間、一家は言葉を失った。そこから顔を覗かせたのは、他ならぬ幼虫だったのである。この時期になぜ幼虫なのかという驚きを抑え、サナギの部屋である蛹室(ようしつ)が出来ていたような気がすることに多少救われながら、鶴を覗いてしまった老夫婦のようにそっと土を被せた。2匹の成虫が元気に姿を現したのは、それから1週間後のことだった。 4匹目が姿を見せて、一向に次が現れる気配がないのは、栄養不足、水道水、酸欠に加え、空気穴がないことによる蒸れも一因ではないかと思われるが、子孫繁栄のため、メスが姿を現すのを一家は今も心待ちにしている。

平成17年3月29日
陽花ちゃんと倫典くん、書写展でそろって入賞
  平成14年度に引き続き、陽花ちゃん(小3)が宮崎市教育委員会主催の小学校教育書写展で金賞を受賞した。一方、弟の倫典くん(小1)も同書写展で銅賞を受賞し、姉弟での入選に家族は喜んでいる。どちらも与えられた文字や文章を書き写すもので、それぞれ丁寧に書かれている。倫典くんは「お正月」の「正」の横棒が曲がってしまったと語っており、ここがうまくいけば更に評価が上がった可能性もある。普段、2人が丁寧に文字を書かないことについて父親は、「書こうと思えば書けるのと書けないのは大違いだ」と語り、早く書けるのも能力のうちだとむしろ奨励しているかのようである。しかし、末っ子の拓真くん(5つ)が小学校に入学した暁には、和田家は3人そろっての書写展入選を密かに狙っている。
 ※受賞作品

平成17年2月19日
えびの高原にて冬満喫!
 先月22日、倫典くん(7つ)と拓真くん(5つ)の誕生日に合わせてえびの高原に出かけた和田一家は、ちらつく雪の中で冬を満喫した。行きの車では、路肩に残った雪を見つけてはしゃいだり、曲がりくねった山道で車酔いを起こしたりと多少もたついたが、一面が氷で覆われた不動池を見るや一同絶句し、冬の大自然に圧倒された。目的地のえびの高原スケート場に着くと、早速、レンタルシューズに履き替えてリンクへ。スケートに関しては、誕生日の二人は初体験、陽花ちゃんは2回目、父が約15年振り、母に至っては約30年振りとあって、素人同然。南国宮崎という地の利もあって、嘲笑を買うことはかろうじて免れたものの、しばらくは周囲のフェンスから手を離せなかった。ようやくセンターに出たかと思うと、倫典くんが転倒し、手を切るハプニングが発生、すっかり意気消沈となった。これはまずいと慌てて借りたソリが功を奏して子供達も元気を取り戻したばかりか、それを押すことで滑りの感覚が身に付くという、まさに「怪我の功名」に両親はホッとした。スケートの後は、周辺でかまくら体験や雪合戦、さらには雪だるま作りとまさに絵に描いたような雪遊びをこなし、温泉で締めくくった。夜は宮崎に戻り、初めてそれぞれに用意されたケーキを食べた一家は、来年もあのリンクに戻ってくるに違いない。

平成17年1月5日
先が見えない、和田家の年賀状
 和田家の年賀状は一体どこに向かっているのか。平成17年の年賀状はかつてないほど風変わりなものとなった。七五三の写真を使うことだけは早くから決まっていたが、プライベートの忙しさから、ようやく構想に取りかかったのが12月。それでも雑誌の表紙というアイデアはすぐに固まっていたとの情報から、挿入する文字の調整に時間がかかったとの見方が強い。「じっくり見てもらえる年賀状」をテーマに掲げ、テレビ番組の紹介という形で和田家の出来事を伝えるというコンセプトがどこまで親戚や友人らに受け入れられたかは未知数で、どこかのダイレクトメールと勘違いした人も少なからずいた模様だ。全体のデザインについて、製作者である夫は概ね満足してはいるものの、レモンではなく「だいだい」を持たせ、表題も「ザ・テレビジョン」の字体で「ア・ハッピーニューイヤー」にすべきだったと悔しがっている。しかし、合成の技術は年々向上しており、陽花ちゃんの手と「酉」の文字は最初からそういう写真だったと思っていた人も多いのは事実だ。そのせいもあって、干支捜しクイズで「酉」の文字には気付いていたが別のものを捜したという人は少なくなく、数人が千歳飴の「鶴」と答えた。挙げ句には、「レモンのように見えるけど、あれがヒヨコとは」との珍回答も飛び出す始末で、新年早々混乱を招いたという責任問題に発展する様相すら帯びている。当人は「毎年楽しみにしてくれている方々のためにも、作り続けることで責任を全うしたい」との教科書どおりの談話を発表しているが、ネタ切れを指摘する評論家もおり、和田家のハガキ作りが今後どのような方向に進んでいくのか全く予想できない。
 ※年賀状拡大

平成16年12月26日
サンタは今年もやってきた
 今年も和田家にサンタクロースがやってきた。普段から部屋の片づけができずに兄弟げんかばかりしているため、サンタの来訪が一時危ぶまれたものの、クリスマスイブの夜にプレゼントはちゃんと届けられた。当初、ポケモンが大好きな子供達は1台しかないゲームボーイアドバンスのポケモンソフトをそれぞれ3種類お願いしていた。ところが直前になって、長男倫典くんが「やっぱりポケモン図鑑がいい。」と言い出したので両親はびっくり。「いやー、もう間に合わんやろ、サンタさんも。」という親に対し、「えー、でも去年たっくんは、この頃に変えて間に合ったよ。」と長女陽花ちゃんも応戦、結局、サンタさんへのお願いを変更することになった。「誕生日に安いもので、クリスマスには高いもの」という子供達の作戦も打ち明けられ、両親は複雑な心境でそれを支持した。上の二人がベッドの横に貼り付けたサンタさんへのメッセージには、去年までのお礼や欲しい商品の値段までが記載されているほか、子供なりのサンタへの気遣いも見られ何ともいじらしい。そのメッセージの横にはサンタさんの返信欄まで用意されていたのには両親もさすがに困惑気味であった。イブの夜、次の日が休みだったこともあっていつもより遅く床についた子供達の枕元には、鍵を開けておいた窓からサンタが現れ、プレゼントを置いていった模様だ。メッセージ欄に「Merry X'mas」と書き残したうえ、プレゼントは変更後のものを含む希望どおりのものだった。既に用意したであろうポケモンゲームがどうなったのかは知る由もないが、指折り数えたクリスマスは今年も子供達にとって最高の形となった。

平成16年11月23日
拓真くん、初練習で自転車をマスター!
 和田家の二男拓真くん(4つ)は、初めての練習で補助輪なしの自転車に乗るという快挙を達成した。11月13日の七五三参りまで自粛していた自転車の練習を、翌14日に始めたが、初日にしてほぼ乗れるようになったことに周囲は驚いている。長女の陽花ちゃんのおさがりのおさがりという古い自転車を愛用していた拓真くんは、補助輪付きではあるが、お姉ちゃんやお兄ちゃんたちに負けじと必死について行ったことで、知らず知らずのうちに自転車のバランス感覚を養っていたものと見られる。倫典くんが陽花ちゃんよりも上達が早かった時にも驚かされた両親は、1日目で、ほとんど転倒することもなく、30分足らずで乗れるようになったことにほとんど衝撃を覚えた。「シャツを軽く握って支える程度で、乗ることができたので、まさかと思って手を離してみたら、うまくバランスを取って進み始めました。」と父親は鼻息を荒くして語っており、数日後にはにスタートから自力で乗ることも知らないうちマスターしていたという。下の子ほど兄弟に揉まれてたくましく育つことが証明された格好で、強い日本の復興には子だくさん政策の推進しかないと飛躍した発言まで飛び出した。今、和田家の裏庭には、子供達の成長を見守りながらも完全に役目を終えたボロボロの補助輪が静かに横たわっている。
※拓真の自転車乗り風景(AVI形式・約3Mb)

平成16年7月28日
謎の生物が謎の変死
 平成16年6月1日付で紹介した「謎の生物」が変死していたことが先日明らかになった。記者会見で和田家が明らかにしたところによると、7月18日の午後4時頃、捕獲していた謎の正体の確認に一家が踏み切ったところ、生命体の姿は確認できず、死骸の一部と思われるものが3点(写真)採取されたという。この生命体が何であるのかについては、和田家は全く心当たりがなく、公表することにより情報の提供を呼びかけている。いずれにしても、カブト虫やクワガタ虫の類いではないことは明らかで、庭の土から易々とそれらが入手できないことが証明された形だ。一方で、この生命体の死因に関して疑問の声が上がっており、専門家の間では極度の乾燥による脱水が原因ではないかとの見方が強まっている。これらの公表が遅れたことについて和田家はあくまでも忙しかったためとしているが、一連のリコール隠し事件で早急な公表が求められている現在においては対応の遅さが指摘されても仕方がないとする声も聞かれる。さらに和田家は、生け垣に巣を作った鳩が先日突如姿を消したとも発表しており、同時期に起こった2つの珍事は、自然との共生の難しさを物語っている。

平成16年7月7日
カブト虫がサナギに変身、一部成虫へ
 カブト虫を卵から育てるという和田家のチャレンジについての続報だが、先日、見事なサナギに変身しているのが確認された(右写真)。オスとメスの両方が既に確認されており、今年も卵をという声が早くも上がっている。数日後には成虫も確認され、和田家はすっかり夏の活気に満ちてきた。成虫の中には非常に小さなメスもおり、これが卵から孵ったものではないかと見られている。しかしながら、成虫が非常に小さいことや、サナギを確認した際に重い土をかぶせたことが原因と思われる傷付いたカブト虫も発見されており、一方で初挑戦ならではの限界も感じている模様。これまでのところ、成虫として確認されたのはオスが2匹、メスが1匹で、残りも順調に姿を見せてほしいと一家は願っている。また、別のケースで慎重に育てられている注目の未確認生物については、現段階で新たな情報は得られていない。この点については、カブト虫の時と同様にサナギを傷付けてはいけないとの考えから、そもそも確認をしていないとの説が有力である。今後、数週間経過しても成虫が姿を現さない場合、土の中を確認するかどうか苦渋の選択を迫られることは必至で、民衆の知る権利と生命の保護という難しいテーマをこの問題はらんでいる。最近、和田家では寄贈を受けたメダカの仲間入りや、生け垣に巣を作った鳩が住み着くなど、生物についての話題が絶えず、子供達にとっては楽しい夏休みとなりそうである。

平成16年6月22日
ミッフィーのバーベキューセット、懸賞でゲット!
 今年の春、フジパンが企画していた「ミッフィーのたのしさいっぱいプレゼント」において、和田家は見事、バーベキューセットをゲットした。一通だけたまたま応募した妻の康子さんも、商品が発送されるまで応募したことすら知らなかった夫の敏法さんも、思わぬ当選に手放しの喜びようだ。一方で、すぐにヤフーオークションをチェック。その時点で7,500円にまで上がっていた入札額を見て、一瞬「換金」という選択肢がよぎったものの、子供がすでに開封し喜んでいたため思いとどまった。和田家は夏になると、庭でバーベキューを楽しんむことが多く、現在使っているセットもだいぶ古くなってきたため、この当選はまさに「渡りに船」との格好だ。2脚ついてきた折り畳み椅子も、既に持っているものと同じタイプのもので、先日、庭で食事した際にも大いに活躍した。このところ和田家は、BOMBの写真コンテストで2度目の入選を果たし、レンタル無料券をゲットするなど、ちょっとした幸運が続いている。7月中旬に発表が予定されているカメラのキタムラフォトコンテストへの応募についても、2度あることは3度あると最後まで強気の姿勢を崩しておらず、この欲深さがどう出るかが注目される。
 ※BOMBの写真コンテスト入選作品
 ※カメラのキタムラフォトコンテスト応募作品

平成16年6月1日
カブト虫が謎の生物と共に順調に成長
 以前、このコーナーでご紹介したカブト虫の幼虫が順調に成長している。一緒に冬を越すと誓ったクワガタは残念ながら死んでしまったが、知り合いからもらったカブト虫の幼虫8匹を加え、11匹の幼虫を育てている。育てているといっても、家の裏庭に放置している状態だが、堆肥と土を混ぜたものにもぐっているため栄養は十分と考えられる。虫かごが大雨による洪水に見舞われ、空気を求め地表にあがらざるを得ないという緊急事態を経験した幼虫達も、今は静かにサナギになる時を待っている。サナギになるのを待っているのはカブト虫だけではない。昨年秋、卵が幼虫にかえった時期に、庭いじりをしていた父親が同幼虫にそっくりな生物を発見。カブト虫、悪くてもクワガタと信じて疑わなかった父親は母親の不安をよそに飼い始めた。他の幼虫に比べて成長が遅いことに気が付き、別の虫かごに移すという弱気な行動こそ見せたが、未だに飼い続けている。「一体、この幼虫は何なのか。最悪でもカナブンぐらいで勘弁してほしい。」と語っているところを見ると、グロテスクな虫になった時のことを思い、怯えているのであろうことはほぼ間違いない。今後とも本コーナーでは、和田家のカブト虫の成長と共に、1匹の未確認生物についても詳しく報告していくつもりである。

平成16年4月14日
倫典くん、ピッカピッカの一年生!
 今月9日、和田家の長男倫典くん(6つ)が小学校に入学した。学校は姉の陽花ちゃん(8つ)が通う江南小学校で、子供の足で歩いて15分くらいの団地はずれに位置する。ピンクのシャツとライトグレーのスーツに身を包んだ倫典くんはどことなく得意げで、この日を待ちわびていた様子だった。入学式では幼稚園の卒園式同様、大きな声で返事ができ、出席した母親を喜ばせている。この入学を待ちわびていたもう一人が姉の陽花ちゃん。初登校の日からずっと仲良く集団登校をし、帰ってもなおご機嫌で、このところ食卓での口数が必要以上に多い。一方、一緒に登園できなくなった弟の拓真くん(4つ)は、落胆の色が隠せない。二人が小学校の話をするにつけ、「たっくんも小学校がいい。」と言うようになり、2年後、3人で登校する日が待ち遠しいかのようである。倫典くんの1年3組は男の子13人、女の子11人の24名のクラスで、机は最前列の真ん中になったようだ。クラスには同じ幼稚園の友達がひとりいるが、あとは初めて会う友達ばかり。まだ、他の友達とは遊んでいないとのことで、多くの小学生同様、社交性を身に付ける訓練が既に始まっている。