平成20年8月31日
新車ステップワゴンを購入!
 和田家は永年乗り馴れた愛車「イプサム」に別れを告げ、新車「ステップワゴン」を購入した。日産のマーチからトヨタのイプサムに乗り換えたのが平成9年6月、丸11年乗ったことになる。車検を諦め、新車の購入を決意したのが車検期限の3週間前であるから、車選びも短期間の勝負となった。イプサムはとても気に入っていたし、定期点検も毎回ディーラーに出しながら乗りつぶすつもりで大事に乗ってきた。おかげさまで、電気系統の接触不良が原因と思われるエアコンの不調以外は故障らしい故障もなく、まさに子供たちの成長と共にあった。しかし買い替えを決めてしまうと行動が早いのは和田家の(主人の)特徴である。決めていた5ナンバーで8人乗り程度のミニバンであるトヨタのヴォクシー(ノア)、日産のセレナ、ホンダのステップワゴンを精力的に見て回り、試乗した。ヴォクシーは高級感のある内装とモデルチェンジ直後というのが魅力であるが、トヨタならではのソフトな乗り心地が背の高いハコバンでは逆に酔いを誘うという印象。セレナは広い室内とどっしりとした安定感が魅力であるが、コックピットの古さが向こう10年乗る車としては疑問。ホンダ車は軽くて燃費はいいが、その分ドアや内装がお粗末で安っぽいというイメージを勝手に持っていたので、ヴォクシーかセレナに決める前に乗るだけ乗っておこうという気持ちで試乗してみた。すると、走りは一番スムーズで低重心を売りにしているだけあってキビキビと動く。シートも安っぽいというイメージだったのが、程よい質感と座り心地が意外であった。最終的にセカンドシートの真ん中の座り心地が悪いヴォクシーを外して、セレナとステップワゴンで随分悩んだが、車検期限の直前にステップワゴンに決めた。HDDナビゲーションや子供たちが熱望した後部座席モニターなどを含めると安い買い物ではなかったが、夏休みの旅行や週末のサッカーなどで早速大活躍しており、これから共に思い出を刻む我が家の相棒として大事に乗っていきたい。

平成20年6月25日
倫典が全日本大会で健闘!
 少年サッカーの最も大きな大会である第32回全日本少年サッカー大会が開幕し、県内93チームが全国大会の切符を目指し熱戦を繰り広げた。全日本大会は開会式と抽選会で1日を費やすほどの大会で、事前に行われた抽選により1回戦はシードとなり、2回戦からの戦いとなった。まずは1勝を目指し臨んだ2回戦は初戦を突破した宮崎の住吉のチーム。キックオフ直後は固さが見られたものの、前半早々にミドルシュートが決まるとチームに活気が出てきた。サイドからの攻撃が徐々に機能し始め、前半にを加えた江南が4-0で快勝した。倫典も後半終了間際にFWで出場、ゴール前の競り合いで惜しいシーンがあるも得点には絡めなかった。日を改めて行われた3回戦の相手は先に行われたキッチン杯という大会で優勝した日南の福島。試合開始直後にフリーキックを直接決められ先制されると、さらに1点を追加され序盤で2点のリードを許す苦しい展開になった。倫典はそんな前半途中に主力選手のマンツーマンでのマークを指示されピッチに立った。体も小さく、技術もまだ高くない倫典だが、粘り強いディフェンスは少しずつできるようになっている。体の大きい6年生にマークを外されたり、倒されたりすることもあったが、倫典なりに必死に食らいついていた。江南もあきらめずによく動き、徐々にいい形での攻めが見られ始めた。後半になってキーパーと競り合いながらも頭で押し込み1点を返すと、完全に江南のペース。父兄の応援にも熱が入り、シュートがゴールをかすめる度に立ち上がって頭を抱えた。選手全員が最後までゴールを目指して戦ったが、後半途中から降り出した雨の中、終了のホイッスルが鳴った。1-2で惜しくも敗れたその試合は監督もよく頑張ったと褒めてくれ、格上を相手に善戦した小柄なチームが頼もしく感じられた。倫典も最後まで与えられた役割に徹し、今持てる力をすべて出し切ったと思う。大きな感動を与えてくれた江南の子供たちの今後が益々楽しみとなる全日本大会だった。
※写真は3月の大会時に撮影したもの

平成20年5月31日
陽花の中学校生活がスタート!
 最後のスポーツ少年団のバレーボール大会で3位入賞を果たし、感動の卒団をしたのが3月。バレーボールに打ち込んだ小学校生活にピリオドを打ち、陽花はこの4月に中学校に入学した。小学校の卒業旅行というのはあまり聞かないが、春休みには小学校最後の思い出にとバレーボールの親友らの家族とディズニーランドへの旅行を楽しんだ。和田家の家族旅行では天候に恵まれないことが多いが、よその家族と一緒だったせいか、爽やかな晴天に恵まれ心ゆくまでディズニーリゾートを満喫することができた。最後の思い出をしっかり胸に刻んだ陽花は、翌週には真新しい制服に袖を通し、中学校の入学式に臨んだ。部活動についてはかなり悩んだようで、スポーツをするなら今までがんばってきたバレーボールがいいと言っていた陽花だが、吹奏楽に興味を持ち、5月になって正式に入部した。たまたま家に楽器があることなどから担当楽器はサックスを志願。希望者が多いためオーディションとなったが、なんとか合格しサックスを吹かせてもらえることになり、現在は基礎練習に励んでいる。自転車通学や文科系の部活、塾通いなどこれまでと大きく環境が変わったが、いろんな事にチャレンジしながらあせらずに自分のペースで成長してほしいと願っている。

平成20年4月27日
壁を塗り替え、マイホームをリニューアル
 和田家がモデルハウスを買ったのは平成10年の暮れ。目安とされる10年が経過した先月、和田家はとうとう壁の塗り替えに踏み切った。数年前から熱心なセールスが度々訪れ、いくつか見積もりを取っていたものの、経済的な理由から施工は見送っていた。今回、半年前にもらっていた見積もりから随分安くしてくれるというので、いつかはしなければならないのであればと決心した。確かに壁の色は入居当時からして随分と褪せ、一部緑に変色したり、触ったら白い粉がつく部分もあり、塗り替えないよりは塗り替えたほうがよいことはわかっていた。もともとモデルハウスであり、壁の色なども好みに合わせて選べたわけではないので、この際好きな色に変えてリニューアルするのも悪くないと考えたようだ。パソコンで家の色を塗り替えてさまざまなシュミレーションを行いながら、和田家の主人が推す白と妻の康子さんが推すクリーム色をベースに検討した結果、中間の上品な白っぽいクリーム色に落ち着いた。あまり色を多くせずにシンプルにと考えていたので、残りの屋根や軒天、ベランダなどは塗り替えができないサッシの色に最も近そうな色を選んだ。結果は写真のとおり、明るくおしゃれに仕上がり、今回の業者の持ち合わせている色の中ではベストのチョイスではなかったかと自負している。塀の色をもっと濃くすればよかったと多少の後悔はあるものの、屋根の上の使っていないアンテナを撤去したことも手伝って、すっきりリニューアルできた。壁の塗り替えで極端に家の寿命が延びることはないと思うが、明るくなった家に住んでいると気分も明るくなってくるような気がするから不思議である。

平成20年2月11日
拓真くんがまさかのサッカー転身!
 和田家の次男拓真くん(8才)がバレーボールを引退し、サッカー選手へと転向していることが明らかとなった。拓真くんは元来、目立ちたがり屋で何でもすぐにやってみたくなる性格。当時5年生だった姉陽花ちゃんのバレーボールに毎週のようについていくうちに自分でもやりたくなり、1年生の冬に女子バレー部に入団した。入団前も体育館の外で兄たちがゲームに興じている間、拓真くんはひとりバレーの試合を観戦し、的を得た質問や解説で度々父親をうならせた。同じ小学校には男子バレー部もあるが、陽花ちゃんが卒団するまでは女子のチームという約束で入団を許した。入団以来、背格好も全く異なる先輩たちに可愛がられながら練習に励み、球拾いでふざけたり、試合中にベンチで船を漕ぐ愛嬌振りでチームを和ませた。しかし兄の倫典くんがサッカー部に入団したことで転機が訪れる。もともと試合に出たがりの拓真くんはサッカーにU-10などの下級生だけで出場できる試合が数多くあることに目敏く着目。兄のサッカー友達に交じって遊んでいるうちにいつの間にか、そして意外なほど早くサッカーに傾倒していった。昨年の暮れは「ねえ、たっくんはいつからサッカーに入れると?」との質問を1日に何度も繰り返す始末。人数の少ないバレー部では特に5年生以下の試合など、拓真も一応貴重な戦力で、退団前は出場機会も少なくはなかった。年が明けていよいよ拓真が今日をもって退団するという最後の試合。6年生チームの試合ではあったが、監督の粋な計らいで背番号2番を付け、最終セットは先発でフル出場させてもらった。これまでの集大成ともいえるプレーを披露、飛びついて拾ったレシーブでは応援の親達も含めこの日最高の盛り上がりとなり、ベンチにいた母親は涙を流した。小さい体で物怖じせずに女子バレー部に飛び込み、夜は机で眠ってしまい怒られながらも頑張ってきた息子に父親も心からの拍手を送った。チャレンジ精神旺盛といえば聞こえはいいが、飽きっぽい性格の拓真くんはこうして念願のサッカーへの転身を遂げた。すぐにハンドをしてしまうという後遺症をようやく克服し、今は3月に行われる2年生以下の試合に向け練習に励んでいる。

平成20年1月15日
恒例の年賀状裏話
  「忙しいからというのは言い訳で、実はもうパロディしかできなくなっているのです」。今年の年賀状を前にして、和田家の父親はそう激白した。数年前からオリジナリティのあるデザインでの年賀状づくりを目指してきた和田家だが、結局今年も実現できず、道のりは相当険しいようだ。もっとも母親はごく普通の年賀状を希望しており、「市民本位のまちづくり」ならぬ「受取手本位の年賀状づくり」と意気込む父親に対し、家族がさほど熱くなっていないのは毎年のことだ。さて、今年の年賀状。取りかかったのは12月23日のことである。「あれこれと意見を言う時期ではない」と近年になく年賀状づくりに協力的だった母親の姿が切羽詰まった状況を物語っていた。ビートルズのアルバムタイトル「A Hard Day's Night」と「A Happy New Year」の出だしの3文字が同じで、文字数も近いことに気付いた時、すべてが決まった。当初、アルバムジャケットのようにいろんな表情の写真を載せるつもりだったが、どうせなら小さい頃からの写真を載せると楽しいのではないかと思うに至った模様。実はこの作業が困難を極め、年末の大掃除時期だというのにあれでもないこれでもないとアルバムを引っくり返すのだから、和田家は力を入れることろが違う。スキャナーで取り込み、ひとつひとつ切り抜く作業は大変だったようだが、オリジナル同様切り抜きの精度はさほど追求していない。白黒に変換した後の色合いに統一感を出す作業には気を使っているが、髪の色の違いでもわかるとおり完成度はさほど高くない。これに関してはもともとの写真の明暗度合いが異なるため補正には限界があったとする見方が強い。「完成した年賀状は結果的に楽しいものとなり、パロディとしてもまずまずの出来ではないか」と父親は評価している。パロディ路線に対して開き直りともとれるこの発言からして、オリジナル年賀状の発表はまだまだ先のこととなりそうだ。しかしこの年賀状をビートルズアルバムのパロディだと指摘した人はおらず、多くの人がオリジナルのデザインだと思っているであろうことは皮肉としか言いようがない。

平成19年9月3日
野生のイルカを満喫!天草の旅
  先月11日から13日にかけて、毎年恒例の夏旅行で天草に出かけた和田家は待望のイルカの群れに遭遇し歓声を上げた。11日の昼に宮崎を出発し、高速道路を松橋で下りた後、陽が傾き始めた幻想的な御輿来海岸に面する天草街道に車を走らせた。天草の入口「三角」の地魚料理のお店でお腹を満たした後は天草五橋1本目の「天文橋」を渡り、目的地の野釜島のキャンプ場を目指した。キャンプ場に着いた頃にはもう暗くなっていたが、土曜日ということでバーベキューを楽しむ家族連れで賑わっていた。テントに荷物を降ろすと、すぐに近くの温泉へ。疲れを取った後はお約束の花火を楽しみ、明日に備え早めに休んだ。翌日、天草五橋の残りの4本を次々に走破し、一家は目的地の天草下島の五和町を目指した。五和町はイルカウォッチングの拠点で、多くの業者が船を出している。予め予約していたお店で手続きを済ませ、11時半の便に乗り込んだ。船首の甲板をいちはやく確保し、意気揚々と出航。わずか10分ほどで最初のイルカに遭遇した。数頭のイルカに感動するのも束の間、目の前に数十頭のイルカが船を先導するかのように優雅に泳ぐ姿に言葉を失った。この海域に200〜300頭が生息するというが、沈んでは現れ、船と並走するイルカはなんとも愛らしい。子どものイルカを目にする度に皆が一斉に声を上げ、のんびりと流れる非日常的な時間を皆が共有した。多くの船がイルカを探すという漁さながらの様相にはあえて気に留めずに、30分程のイルカウォッチングを終え、港に戻った。お昼の海老料理店で注文の品が1時間近く出てこないという不運もあったが、夜は海の幸をたらふく堪能。温泉で疲れを癒し、昨夜のキャンプ場に戻った。夜は夏休みの宿題を兼ねた夜空の観察。流れ星を見たことのない子どもたちと母親は満天の星空の下で大の字になり、複数の流れ星を見ることができたこともこの旅の大きな収穫となった。「ここ辺りは雨は降りませんから」という強気のキャンプ場経営者の言葉と裏腹に明け方からは雨となり、遊園地グリーンランドに向かう途中には計画変更も頭をかすめたが、入園する頃には止み、1、2時間を経過した頃からは雨天のため運行を見合わせていたすべての乗り物が稼動を始めた。たっぷり遊んだ後は、例に洩れず温泉へ。その後南阿蘇経由でお盆の帰省先日向へ向かった。後日。テレビの旅番組で次長課長が例の海老料理屋へ。うまいうまいと海老を頬張る二人を見た子どもたちは、「あんなに待たせたのに、これを見て客が増えたらずるい!」と憤懣やる方ない様子であったことを付け加えておこう。
※行程図はこちら

平成19年8月8日
世界にひとつだけのメロン
  まだ小さいメロンに傷を付けるとその傷に沿って編目(マスク)が作られる。そんな性質を利用して子供たちが名前や絵を刻んだ「世界にひとつだけのメロン」が無事に成長し、我が家に届いた。この企画はバレー部の父兄にメロン農家の知り合いがいたことで実現、バレー部員とその兄弟たちが6月10日にメロンハウスを訪れた。先に紹介したサントリーカップ予選前ということもあり、陽花は必勝を祈願。下の子供たちもそれぞれバレーボールや笑い顔を書いたがいずれも奇麗な編目が浮き出た。つるに実った小さいメロンを握り、クギで丁寧に傷を付けていく。傷が浅すぎると編目が綺麗に浮き出ず、逆に深すぎると腐ってしまう。微妙な加減が必要な難しい作業ではあったが、20個ほど傷を付けたメロンのうちで育たなかったのは1個だけだというからまず成功と言えよう。我が家の子供たちはひとり1個を熱望。買い取り価格も破格の安さではあったが、下の弟たちにはふたりにひとつで我慢してもらった。7月中旬、無事に大きくなったメロンを手にしてみると、傷つけた文字や絵がくっきり浮き出ていることに感激。冷蔵庫で冷やしてはみたものの、さすがに包丁を入れるのはためらわれ相当の勇気を要した。切ってしまえばそれは普通のおいしそうなメロンであり、数日後には綺麗になくなった。今ではこの写真が残るのみだが、植物の不思議に触れ、おいしい思いも出来た夏の珍事であった。

平成19年7月8日
陽花、バレーボールで悲願の県大会出場!
  先月2日と3日に開かれた第27回全日本バレーボール小学生大会(サントリーカップ)宮崎市予選会において、陽花が所属する江南スポーツ少年団(女子バレーボール)が悲願の県大会出場を果たした。県大会につながる大きな大会は、2月の新人戦、今回のサントリーカップ、7月の県スポーツ少年団大会(サントリーカップ県大会出場チームは出場資格なし)と10月のほっかほっか亭杯の計4大会。新チームになってから、2月の新人戦以降、結果の出ない試合が続いたが、大きな大会でのびのびと力を発揮した。今回のサントリーカップで市の予選会にエントリーしたのは36チーム。このうち9チームに県大会への出場権が与えられる。3チーム毎に分けられたリンクリーグで1位になったチームのみが翌日の決勝トーナメントに進むことができる。シードチームの入ったリンクに入らないというくじ運にも恵まれ、倉岡と赤江Bを順調に下し、2日目に望みをかけた。2日目の決勝トーナメントでは2月の新人戦県大会の優勝チーム東大宮と対戦。やはり力の差は大きく1回戦で敗退した。しかし、1回戦敗退チーム6チームのうち、3チームは敗者復活戦により県大会出場権を獲得できるため、集中力を高めて恒久との決戦に臨んだ。これに勝てば県大会とあって、両者力のこもった熱戦の末、2セット連取で涙の勝利を手にした。陽花も得意のサーブがこの日も好調で勝利に貢献。昨年度は先輩たちが惜しくも果たせなかった本大会での県大会出場が現実のものとなり、子供たちには最高の涙や笑顔が溢れた。先月30日に開かれた県大会では惜しくも予選で敗退したものの、県内の強豪を相手に善戦し、次のほっかほっか亭杯に向けて手応えを感じることができた。ほっかほっか亭杯は昨年先輩たちが県大会ベスト8に入る大健闘を見せた思い出の大会。今年もまずは県大会出場、そして県大会での初勝利を目指しがんばっていこうと誓っている。

平成18年9月4日
貯金箱、金額予想の結末は!?
  和田家では今の家に移った時から貯金箱にみんなで貯金を始めた。500円ばかり貯めると30万円貯まるといううたい文句の貯金箱はリビングのカウンター下に置かれ、何のルールもなく気が向いた人が気が向いた時にお金を入れてきた。もっともほとんどは母康子さんが貯めたもので当初は500円玉ばかりを入れていたという。その他はテーブルの上にあった所有者不明の小銭や掃除機をかけるときに見つかった床の小銭。ほぼ満杯となった貯金箱はかなり重かった。いよいよ開ける夜、みんなで金額を当てようという話になったから子供たちは大はしゃぎ。500円を随分入れたとの自信がある康子さんは73,000円と予想。それに習って陽花ちゃんと倫典くんはそれぞれ69,758円、75,683円と予想。そこまではないとみた敏法さんは55,000円と予想、拓真くんが51,000円と続いた。優勝から5等までの賞金を1,000円、500円、100円、50円、10円と決め、いよいよ缶切りを入れた。意外に500円が少ないことで敏法さんは自分と拓真くんの争いになるだろうと感じた。みんなが同じコインを整理している中、拓真が目をギラギラさせて、父に耳打ちした。「ねえ、変えていい?」。挙動不振の拓真くんの考えはすぐに兄姉の知れるところとなり、猛反発を受けた。「ちなみにいくらと思うとか?」との父の問いに拓真は「80,000円」と鼻息を荒くし、しかし平静を装うかのような素振りで答えた。「お父さんは変えんほうがいいと思うぞ。」と説得を試みたが、いかにもザッと数えましたという顔をした拓真くんは聞く耳を持たない。相談の結果、どういう結果になっても泣かないならいいとの条件で変えることが認められた時、横で「してやったり」とほくそ笑む拓真くんの姿があった。拓真くんのビリを確信した父は、「ズルをすると痛い目に会うということを教えてやりたかった」とその時の心境を語っている。結果は53,555円。敏法さんが最も近く、変えなければ2等だった拓真くんは一転してビリに。彼が大泣きしたのは言うまでもない。イソップ物語的な教訓を残したこの出来事の数週間後、このお金を使って一家は、夏休み最後の思い出づくりにと熊本へ旅立った。

平成18年7月6日
メダカの大量繁殖に成功!
  和田家が飼っているメダカが今夏、大量の卵を産み、驚くほど多くの赤ちゃんメダカが誕生した。内村家で孵化した赤ちゃんメダカを譲り受けたのが2年前、昨年も数十匹の赤ちゃんが確認された。知り合いに譲った残りを大事に育てていたが、親メダカに食べられるなど自然淘汰の結果、大きくなったのはわずかに2匹だった。今回、その子メダカも親メダカもメスというメスはお腹に卵を抱え、朝に付いていた卵が夕方にはなくなっているのを妻の康子さんは目撃した。そういった現象が4〜5日繰り返された後、康子さんが水草を専用の容器に移して孵化するのを待ったことは、いかにも的を得た行動だったと考えられる。外に置いていたため、水は濁り、藻が発生し、タニシが異常に繁殖し、ボウフラもウヨウヨ湧いたが、自然の状態を保ったのが功を奏したのか、大量の赤ちゃんメダカが誕生した。その数は数百匹に上るとみられ、最近になってようやく孵化が完了した模様だ。長男の倫典くん(8才)は学校に持って行き、クラスの子供たちや先生に歓迎されたほか、近所の家族も喜んで持って帰った。それでもなお、数百匹の赤ちゃんメダカがひしめいていたが、前述した劣悪な環境に見ているほうが耐えられず(ボウフラがまさに蚊になって飛び立とうと水面でもがいている貴重な光景を目撃できたのだが)、きれいな水槽に移されている。ただし、最近になって、家のメダカ、クラスのメダカともに、激減しているとの情報もあり、親メダカと一緒に飼わなくても、育たない原因があるものとみられる。水替え等の急激な環境の変化に耐えられなかったとの見方が強いため、未だに孵化した専用容器に残っている赤ちゃんメダカは、しばらくはそのままにしておく措置が取られる模様だ。果たして今後、何匹が成長していくのか、和田家にも全く予想がつかず、暗中模索の日々はまだまだ続きそうだ。

平成18年3月28日
拓真くんが自転車レースで優勝!
  先日開催された天満橋サイクルフェスタの幼稚園の部において、和田家の二男、拓真くん(6つ)が見事優勝に輝いた。同フェスタは宮崎市内を流れる大淀川にかかる天満橋の開通を記念して企画されたもので、27日の開通前日に幼児の部や小学生の部などのキッズレースのほか、チームレースや3時間耐久レースなどが行われた。近くに架かる橋として開通の日を楽しみにしていた和田家としては、この企画に早くから注目し、拓真くんが幼稚園の部に、倫典くんが小学校1・2年生の部に、父親を加えた3人でチームレースにエントリーした。あいにくの小雨の降る中、41名がエントリーした幼稚園の部が最初に行われ、拓真くんは6才のみで行われた一次予選をトップで通過。二次予選ではコーナリングに失敗し2位、濡れた路面で転倒者が出たため急きょ直線のみのコースに変更された決勝では、スタートから飛び出しダントツの走りで見事優勝した。次に行われた1・2年生の部には最多の54名がエントリー、コースは直線のみだが400メートルはあろうかという長さ。スタートラインに立つ参加者のマシンを見るや、父親は我が子の置かれた不利な状況を認めざるを得なかった。予選2組でスタートした倫典くんは、ギア付きの大きなマシンに追い付こうと必死にペダルを踏むものの、無情に車輪は小さく回り続けるだけで、前へ前へとは進んでくれない。最後の下りまであきらめなかったが10人中7位に食い込むのがやっとで、一次予選で姿を消した。雨が上がった夕方になってようやく行われたチームレースは、ママチャリ、BMX、折り畳み自転車、補助輪付きミニ自転車を乗り継ぎながら、全長約600メートルの橋を1週半するというもの。3名以下のチームは誰かが複数の自転車を担当しなければならない。必然的に父親が最初の2つを担当、太ももをパンパンにしながら必死にこいだが、マイヘルメットやサイクリングスーツを身にまとった人々の間では赤子同然に打ちのめされた。父親の出遅れが響き、子供たちの健闘空しく予選で10チーム中9位という成績に終わった。雨や寒さに耐えながらがんばった甲斐あり、優勝した拓真くんは副賞として海産物セットをゲットした。商品の伊勢海老やうちわエビはその日のうちに刺し身になり、あっという間になくなったが、新しい橋を舞台に繰り広げられたレースの思い出はずっと記憶に残ることだろう。

平成18年3月14日
ズレータの前で演奏!
  先月19日、和田家の主人が所属する市役所ミュージッククラブのユニットは福岡ソフトバンクホークスのフリオ・ズレータ内野手の前で演奏するという珍事を体験した。同クラブの定期演奏会を来週に控えたその日、本番の会場であるニュー・レトロ・クラブでリハーサルを兼ねた演奏をしていた。ズレータ来店の報がもたらされたのは、2回のステージを終え、そろそろ帰ろうとした頃だったという。野球に疎いメンバーも多く、ズレータを知っているのは5名のうち2名ほどだったが、こんな経験もめったに出来まいと、もう1ステージ行うために彼の到着を待った。日曜の夜のほとんどお客のいないお店に姿を現したズレータはチェックのシャツにジーンズというラフな格好。顔を知らなければただの大きい黒人といった風貌だったようだ。中央のボックス席に陣取ったのを見るや、ステージに上がり、ロッド・スチュワートのR&Rナンバーを演奏した。片言の英語でのMCを交えた演奏をズレータが喜んでくれたことは、演奏後「サインをしたい」との申し出があったことでもわかる。「ギターに野球選手のサインをもらうのはちょっと・・・」と、あまりホークスやズレータのファンではないメンバーはサインの申し出に対して動揺の色を隠せなかったが、代わりに携帯電話の裏やギターケースにサインをもらい、写メールを一緒に撮った。興味のないメンバーは演奏後速やかに店を後にしたが、乳児を連れて夜中に迎えに来てくれたメンバーの妻を待つことができた3名は、届いたデジカメで記念写真を撮ることができた。ズレータにサインをもらう人は多いだろうが、演奏を聴かせる人は少ないだろうとささやかな優越感を覚えた和田家の主人は、多少消えかけた貴重な携帯電話のサインを前に今期のズレータの活躍を祈っている。

平成18年2月15日
ポスター調年賀状裏話
  昨年の雑誌表紙調の年賀状があまりにゴチャゴチャしていたと自ら反省した和田家は今年、シンプルさを追求したポスター調年賀状が採用された。撮影は、芝生の緑色に定評があり、昨年放映されたNHK連続テレビ小説「わかば」のオープニングでも使われた、市内の公園、フローランテ宮崎で行われた。長女陽花ちゃん(11才)がスポーツ少年団でバレーボールを始めたこともあり、ユニフォームを着た動きのある絵を撮りたいというのが撮影場所を選んだ理由だという。撮影当日は農林水産まつりが開催されており、とても撮影ができる状況ではなかったため、人が少なくなる夕方まで数時間待たされた。11月末の野外は多少肌寒かったが、人がまばらになった頃合いを見計らって撮影を決行。いきなりユニフォームに着替え始めたくらいではさほど興味を示さなかった来園者も、父親の号令のもと、何度もダッシュを繰り返し始めてからは何事かと気になる様子であった。周囲を気にせず、撮影を指揮した父親だったが、閉園時間も迫り、陽も陰り始め、主役たちが演技に飽きてしまってはお手上げで、イメージした成果は得られないまま撮影会は終了した。父親は「本当はスタート前ではなく、走り始めた直後のもっと手足の残像が残るような、動きのある作品にしたかった。ただ、陽が傾き、陰が長く伸びたのはいい効果が出た。」と語っている。ユニフォームを着てからは、たった6枚しか撮影させてくれず、その中から4枚目のものを採用した。中央に文字を入れるか入れないか、入れるとしたら何かでかなり悩んだが、太陽の下で芝生の上を裸足で駆け回ること、また、そういった光景が多く周りにあふれていることこそが人生の意義であるという思いを込め「It's A Meaning Life」という文字を挿入し、完成させた。なお、「It's」を「I'ts」と書いてしまい、150枚近く印刷した年賀状を郵便局で交換した事実は、関係者以外あまり知られていない。