短歌


※New
作 日高尚子

<説明>
 平成24年1月21日、妻とその両親は東京渋谷のNHKホールにいました。義母が特選に選ばれた「平成23年度NHK全国短歌大会」に出席するためです。この短歌が小池光選として応募数23,839首の中の50首に選ばれ、NHKホールで行われた大会において紹介されました。大会の様子は翌月のNHK教育テレビで放映されています。
 数ある短歌の中で、雇われる側からの歌はあっても雇う側の短歌は珍しいみたいで、この首から、雇う側の思いはさることながら、雇われた方の人柄や外観まで自然と想像してしまうのは不思議です。いい短歌というのはそんな力がある、というよりそんな力があるのがいい短歌なのかもしれません。

<読み>
 しょくれきに さんにんいくじじゅうごねんと しるせしひとを ぱーとにやとう


作 日高尚子

<説明>
 宮崎日々新聞の歌壇賞受賞の際に紹介された自選3首のうちの1首。
 義母は宮崎日々新聞に投稿を続けていますが、この度、平成20年宮日文芸賞の歌壇賞を受賞しました。新聞記事にもあるとおり、父親の中山寛詞じいちゃんも今から30年前に受賞しており、親子2代での受賞はまさに快挙です。記事にもあるとおり実の母に喜んでもらおうという思いが短歌作りの推進力となっていることもいい話です。これからもいい歌をたくさん詠んで、祖母を始めとする家族のいいお手本となっていただけることを切に願っています。

 この歌はシドニーに住んでいる孫のことを詠んだもの。近く、シドニーまで会いに行く予定とのことで、トミーの歌がたくさん生まれるのを楽しみにしています。

<読み>
 しどにーの なつのうみこえ おめでとう はつひのような まろきまごのこえ


作 日高尚子

<説明>
 宮崎日々新聞の短歌の欄、伊藤一彦選で特選に選ばれたもの。
 義母が妻のことを詠んだ歌。NHKで「おしん」が放映されたのは1983年〜1984年のことらしいので、家内が中学生の頃に言ったセリフだと思われます。「おしんみたい」と、からかい半分に言うことは割とあるにしても、「泣きにし娘」ですから、心からそう思っていたのでしょう。涙がでるほど母が不憫だったという状況にも驚きです。実際、ホテル業をしながら、やはり3人の子供を育て、朝早くから夜遅くまで走り回っていた様子を子供ながらに心配していたのでしょうか。

 先生の評は以下のとおり。
 「母親の一生懸命に生きる姿を見て「おしんみたい」と言った娘が、苦労を避ける生活をするどころか、苦労をいとわず健気にがんばっているという歌。母心がよく出ている。」

 現在の我が家もレベルは違うにせよ、やはり目が回る日々で、子育ての大変さを痛感しています。3人の子供を育て上げた母が、同じく3人の子育てをしている娘に何を思うのか。淡々と詠まれていますが、お互いを敬い、お互いを慕う、そしてそれは我々が決して共有することはできない母と娘にのみ存在する絆なのかと思うと、深く感じ入ることができる作品です。

<読み>
 かあさんは おしんみたいと なきにしこ さんにんうみて ともかせぎせり


作 日高尚子

<説明>
 宮崎日々新聞の短歌の欄、伊藤一彦選で特選に選ばれたもの。
 ちょっと季節はずれの紹介ですが、私のような素人にもわかりやすい、楽しい一句です。先生の評にもありますが、四コマ漫画のような起承転結が感じられます。個人的には「日傘まはして」が好きで、グッと絵画的、情緒的になっているような気がします。

 先生の評は以下のとおり。
 「場面がよく見えていい。この歌も結句が生きている。」

 このような場面は、誰しも経験するところだと思うので、親近感が感じられるのでしょう。私もよくありますが、商売をしている義母はなおさらだと思います。結局、全く知らない人同士だったってこともあるのでは?

<読み>
 すれちがい おもいだせずに ふりかえり ひがさまわして たがいにえみぬ


作 中山ミチエ

<説明>
 宮崎日々新聞の短歌の欄に伊藤一彦選として紹介された祖母の作品。
 夫で他界した中山貫詞じいちゃんのことはこのコーナーで紹介済みですが、90を過ぎたおばあちゃんの作品です。
 歳が歳ですから、何度か入院をしましたが、1年くらい前に入院した時の句だと思います。消灯後の寂しい病院のとある夜。読んでるほうはつい感傷的になってしまいますが、病院では日常的なことなのでしょうか。
 何歳になっても親は親、母は母なのだなあとしみじみ感じることができました。手術前の不安なばあちゃんの思いはもちろんのこと、老婆の境遇までも何かしら想像されて、深みにはまってしまいそうな一句です。

<読み>
 おかあさん やはんによびいし ろうばあり あもよびたし あすはしゅじゅつだい


作 日高尚子

<説明>
 これは上の作品の1ヶ月後に、宮崎日々新聞の短歌の欄、伊藤一彦選で特選に選ばれたもの。
 退院する前の病院か、退院した後のばあちゃんの家かを訪ねたときのやりとりだと思いますが、素直な気持ちを伝え合えるのは女性ならではなのか、年のせいなのか。母と娘の関係の当事者になることができない私には、よけいうらやましく思える一句です。
 先生の評は以下のとおり。
 「親の心、子の心、どちらもよく伝わる。」

 なるほどねえ。下の句だけについつい印象が集中してしまうけど、読む人が読めば、上の句にも親の心を感じ取ることができるんですね。大局を見ることの難しさを知らせれました。まあ、そこまで難しく考えることもないのですが。

<読み>
 しゅじゅつごは なにもできぬと いうははに えがおとこえが ほしいとこたえぬ


作 日高尚子

<説明>
 今回も宮崎日々新聞の短歌の欄、特選作品。浜田康敬選。
 先生の評は以下のとおり。
 「離れて住んでいるお母さんの気持ちを察して、作者の心は実に優しい。おそらくこの電話の後、作者はお母さんの所に直行したのでは。」

 私は電話が苦手なものですから、極力メールでやり取りするようになりました。両親や兄弟にもメールが多いです。しかし、この場面のような微妙な声のトーンや間などがこんなに情緒あるシーンを作り出すのですから、電話も悪くないなあと改めて思った歌でした。もっとも、国富のばあちゃんにメールは無理なのですが・・・。
 さて、ずっと先、母が逆の立場になった時。恐らく祖母と同じ事を言うのでしょう。

<読み>
 だいじょうぶ こんでいいがと いうははの じゅわきのむこうに まつけはいあり


作 日高尚子

<説明>
  これも宮崎日々新聞の短歌の欄で伊藤一彦選として紹介された妻の母の作品。しかも「特選」、もはや常連となっています。
 日向の甥っ子を歌ったもので、うちの倫典と同学年です。

 これを読んだ時の夫婦の会話。
夫「これどんな意味やろか?」
妻「読み声が確かになってきて、早寝もするようになって、一年生の夢はあいうえおってことじゃない?」
夫・妻「そのままやが。」

 さすがに伊藤一彦先生の評は違います。
 「上の句が4月に入学してその後成長しつつある一年生をしっかり把えて歌っている。結句『夢はあいうえお』が見事に決まっている。」

 ちなみに「あいうえお」などと書いて出したら笑われるだろうと思っていた母は、この評を見て、もう何がいいのかわからなくなったそうです。

<読み>
 よみごえの たしかになりて はやねする いちねんせいの ゆめはあいうえお


作 中山貫詞

<説明>
 祖父は草花が好きで、庭に多くの花を植えていました。遊びに行くといつも花が奇麗に咲いていたのを思い出します。
 以前に紹介した宮中歌会始での入選作品にも共通するようなテーマで、より力強い感じがします。この歌について祖父は、子や孫への思いや期待というものを球根に例えたものと語っていたそうです。
 この作品と下の作品は共に、平成3年12月、国富町の運動公園内に歌碑が建立されており、今後も末永く国富町民に親しまれるものと思います。この歌碑をテーマとした歌も祖父はいくつか残しており、平成5年4月に発表した歌集「暗黙」に収められています。
 なお、その横には、宮中歌会始での入選作品の歌碑も平成10年7月に建立され、ちょっとした祖父の一画ができています。

<読み>
 ながらえて やがてはきえむ いのちより なおたしかなる きゅうこんをうう

平成3年12月建立 国富町運動公園内 歌碑
同裏面


作 中山貫詞

<説明>
 祖父には子供が5人、孫が10人、ひ孫が現在までに6人います。残念ながらひ孫は一人しか抱くことができず他界しましたので、この歌は10人の孫のうち、誰かとの体験に基づくものと推測されます。
 2〜3才程度になると肩に立とうとするのはよくあることで、恐らくは立てるようになって間もない赤ちゃんを肩に乗せた時の驚きを歌にしたものと思われます。

<読み>
 よりたかき そらをよろこぶ おさなごか わがかたのうえに たたんとしつつ


作 日高尚子

<説明>
 前回に引き続き、宮崎日々新聞の短歌の欄で伊藤一彦選として紹介された妻の母の作品。
 国富に住む祖母の家に向かう時、日向の両親はいつも農道に車を走らせます。時には私達や近くに住む母の兄弟たちが集まり、にぎやかな宴会となります。久しぶりに母の顔を見に行くときの気持ちが想像され、歌の好きだった祖父にもうれしい作品だと思います。

<読み>
 はまぐりや すしをくるまに ははのまつ さとにむかいて のうどういそぐ


作 日高尚子

<説明>
 以前このコーナーで紹介した妻の母の作品。宮崎日々新聞の短歌の欄で伊藤一彦選として紹介されたもので、伊藤さんの寸評は以下のとおりです。
 「下句が面白いし、印象に残る。ただ、第二句はふつうなら「恋の如くに」と表現するところだろう。」
 妻の実家の様子を知らない伊藤氏ですら面白いと感じるこの句、妻は「いかにも」と笑っていました。私もこの風景、よく目にするような気がします。

<読み>
 しゃくねつの こいのごとき はねふるわす せみにまけじと つまはあをよぶ


作 中山貫詞

<説明>
 もう亡くなりましたが、妻の祖父は歌人です。本業は教師でしたが、退職後は本格的に短歌の製作・普及に努められ、以下のような経歴を持っております。
 昭和46年 宮柊ニ主宰 コスモス短歌会入会
 昭和52年 宮崎県国富町民歌作詞
 昭和55年 宮崎日々新聞社 歌壇賞受賞
 昭和57年 町文化教会長
 昭和62年 町文化功労賞受賞
 平成 元年 日本歌人クラブ会員
 平成 3年 宮崎日々新聞社 文化賞受賞
 この短歌は私達の結婚を祝って詠んでいただいたもので、結婚披露宴でも自ら詠んでくださいました。
 私達2人の名前をすべて使ってひとつの歌にしていただいたもので、自筆の色紙は我が家に大切に飾ってあります。

<読み>
 わたつみに さとくやすけく ひはたかし のりとをささげて しあわせちかう


作 中山貫詞

<説明>
 この歌は平成8年の宮中歌会始で佳作に選ばれた作品です。
 私は歌を志す人にとってこの宮中歌会始での入選というものがどれほどの重みがあるのかは想像できませんし、伝統的な短歌としてのうまさみたいなものは正直言ってまだわかりません。しかし、祖父と祖母のいつもの朝の風景が鮮やかな情景として目に浮かぶとともに、祖父の力強い意志のようなものを感じることができる作品として好きな歌です。
 なお、宮内庁のホームページこちらにも紹介されています。

<読み>
 おいつまと ひとひひとひを ながらえて はるなのなえに あさのみずまく

平成10年7月建立 国富町運動公園内 歌碑
同裏面


作 日高尚子

<説明>
 妻の母も短歌を始めたそうです。親の遺志を継ぐという大袈裟なものではないかもしれませんが、物を生み出す喜びや亡き父と同じ楽しみを共有できる喜びをきっと感じているのだと思います。
 この歌は宮崎日々新聞の短歌の欄で高野美智雄選として紹介されたものです。高野さんの寸評は以下のとおりです。
 「日高さん、豪州へ旅立つ娘さんとの由布の旅、風に音する笹も淋しい作者だろう」
 妻の姉が夫の待つオーストラリアへ旅立つ直前の平成14年11月、父、母、娘の親子3人で由布院旅行に出かけたときの心境を歌ったものだと思います。

<読み>
 さわさわと ささのねさびしき ろてんぶろ とごうすること わかれのゆふのやど